こんにちは、ドクダミ淑子です。
はあちゅうさんの土曜日に更新されるnoteを読みました。
ざっくり書くと、こんな感じ。
- 子育ての良い部分ってなんだろう
- 社会とのかかわりが増え、大人としての成熟度が増して成長できる
- 私は妊娠中は「弱者」だった(+妊娠への恨み節)
- 子供という「弱者」を育てていると、私も弱者を理解できるメリットがある
これを読んで私は、やっぱりですけど、「さっぱり意味がわからんな」と思いました。
子育ての良いところなんて考えたことも無かった
私自身は、「子育ての良い点」など考えたこともなかった。
なぜ、考えたことがないのか?
「え?楽しいことや好きなことに、理由って必要?いらなくない?」というところだと思う。
私は読書が好きだけど、そこに「読書の良い点」などを考える余地はない。
時々、「読書にはこんなメリットがあって~」みたいなことを言う人はいるけれども、そういうことを考える人は本当に読書が好きではないと思う。
好きだから読む、楽しいから読むであって、そこにメリットも何もない。
逆にメリットを考える人は、読書が好きではないから自分自身をやる気にさせるために色々と理由を考えるのだ。
別のたとえをするなら、「身体にいいから」という理由で青汁を飲む人と同じで、それは単なる「青汁うめぇ!」という人とは違う。
「良い点があるから」という理由で青汁を飲む人は、結局「同じものが摂取できるならサプリでよくね?」となり、読書のたとえに戻るなら「本の内容の要約をした動画」みたいなので済ませようとする。
読書だの青汁だの色々なたとえをしてしまったけど、はあちゅうさんの「子育ての良い点」も同じようなものだと思う。
要は、「好きでも楽しくもないことをしなければいけないから、無理やり意味を作っているのだろう」と思えるのだ。
大縄跳びのメリット?
そんなことを考えながら、休日の夕方の公園に行ったら、大縄跳びをしている大人と子どもの集団がいました。
お父さんお母さんとおぼしき人達と、その子供達+α(親戚か同級生か近所の人かは不明)で、皆で一緒に何回飛べるかとか、順番に飛んで何回いけるかとかを、夢中でやっているんですわ・・・
冷めた目で見ると、大縄跳びで何回飛べたかなんて今後の人生に何の関係もないし、メリットだのデメリットだの考え出したら限りなく時間の無駄だし体力の無駄だし、デメリットの方が多いと思うんですわ。
そこで「子供の達成感」やら「成功体験」やらという小難しい言葉をいれれば無駄じゃなく感じるのかもしれないけど・・・とかいう屁理屈を飛び越えて「ただ楽しいんだろうな!」と思える光景だった。
常にハッピーは増え続けているのだが
子育ては単純に楽しいし、子どもと遊ぶことも単純に楽しい。
そこに「良い点」みたいなのを考えるのがそもそも「子育てが楽しくないんだろうな」と思ってしまう。
はあちゅうさんのnoteを読んでいると、「私のメリット」が強調されていて、それにも違和感しかない。
自分に良い点があるから子供を生むのか?
自分に良い点があるから子供を育てるのか?
じゃあ、良い点がなければ子供を育てる意味がないのか?
彼女はそこまで深く考えていないのだろうけど、突き詰めれば突き詰めるほど、「じゃあ生まなきゃよかったじゃん」という言葉が出てきてしまう。
性格の歪んだアンチ(と時々言われる)の私がこれ言ったらキャラじゃないと言われるのかもしれないけど、私にとって子どもは無事に生まれてきた瞬間から1億点くらいのハッピーがあって、そこから「子どもが体調崩すとしんどいな」とか「なんで泣き過ぎて吐くのさ」とか、まぁ色々で数点くらい減るんだけど、子どもが回復して楽しそうにしているとか、朝起きた時に「オハヨー」と元気よく言ってくれた瞬間に数百点が追加されて・・・とにかく、常にハッピーは右肩上がりなのですよ。
はあちゅうさんのnoteを見ていると、常にゼロ付近で「マイナスになるか、プラスに転じるか」みたいな状態に見えてしまう。
子育てに「自分のメリット」なんて考えない方がいい
ここまで書いて、以前にも同じようなことを書いたのを思い出した。
今もこれは同じように思っていて、子育ては「自分のメリット」なんて考えずにただ楽しむのが一番だと思う。
大縄跳びにも、砂場にも、ジャングルジムにも、「大人である私の成長」を求めない。
毎日を子どもと楽しく生きて、数年後に「あれは私自身の成長でもあったんだな」と思えればそれも良いけど、とにかく「今、この瞬間の私の成長」なんてものは考えない方が、結果的にハッピーに過ごせると思う。
少し前に一緒にお絵描きした作品。
これでゲラゲラ笑った。
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