ドクダミ自由帳

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「自分を仕事にする」の限界を感じる


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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

はあちゅうさんの「自分を仕事にする生き方」について、考えれば考えるほど、限界を感じる、今日この頃。

 

 

「生活を仕事にすること」に、限界を感じる

もしかしたら、私自身がなんとなく「つまらないな」と思っている、というだけなのかもしれない。

 

でも、その自分が「つまらない」と感じる理由を色々と考えていくと、「自分を仕事にするって限界があるよなぁ」という考えに行きつくのだ。

特に、ジャンルもなにもない「日常生活の切り取り」みたいなのに。

 

はあちゅうさんの「自分を仕事にする」というのは、何を食べただとか、何を買っただとか、どこへ行っただとか、そういうネタが多い。

あと、美容クリニックに行ったとか、ヘアサロンに行ったとか、時々思い出したように子どもと映えスポットへ行った、とか・・・

 

・・・まぁ、好きな人なら関心が持てるし真似したいと思うかもしれないけれども、そうでもない場合は「へぇ、そうか」と思うくらいだろう。

はあちゅうさんと同じヘアサロンに行きたいと思う人がどのくらいいるのかどうか?

「はあちゅうさんと同じ髪型にしてください」と頼む人がどのくらいいるのだろうか?

広い日本の中に、インスタライブを生配信で見る人が300人くらいいるから、きっと各都道府県に10人ずつくらいはいるだろう。

 

しかし、問題はここからで。

そうやって、彼女の生活に興味を持っていても、時間が経つと離れてしまう人もいる。

私も、ある時期にずっと追いかけて、SNSの更新やブログの更新をへばりつくように見ていた人もいたけれども、いつの間にか離れてしまったことなんて、たくさんある。

 

このブログも、初期によく読んで感想をくれたりしてくれた人も、最近あまり見かけなくなったな、なんてこともある。

(それは私が、相手のブログ更新時に欠かさずはてなスターを押したりするマメさに欠けるからかもしれないけれども。)

 

そうやって、夢中になって追いかけてくれる人も、離れてしまうこともある。

 

その中で、新たな読者や新しく関係を持った人が出てきて、また離れて・・・を繰り返しながら、なんとなく、もんにょりと、読者を意識したりしなかったりしながら、自分の文章などの発信を見てくれる人に向けて発信し続ける・・・というのが、ブログ運営を長く続けていくということなのだなと思っている。

 

んだけれども、その読者たちって、年を取れば取るほど、他人の生活に興味がわかなくなってくるんじゃないかな?と思うのだ。

 

 

色々なことに興味がなくなってくる

誰が何を食べようとも、どんな服を着ようとも、どこに行こうとも、そこにガッと心を奪われることが少なくなってくる。

いや、正確には関心があるところについてはそれが深まっていくんだけれども、その他の部分については、どんどん、どうでもよくなってくる。

 

洋服なんかもなんとなく、「自分のスタイル」みたいなものが確立されてきて(それは、例えばボーダーのカットソー+デニムとかもあるかもしれない)、他人のコーディネートを参考にして云々というのが減ってくる。

 

そんなに薄着にならないから、ちょっとくらいワキ毛が生えていようともどうでもいいし、なんなら時々指毛もちょっと生えているけれども、あまり気にしなくなってきた。

「まぁ、毛ぐらい生えるよね~」くらいの感覚だ。

シミもあるけど、「まぁ、学生時代に部活やってたし、若い頃は遊んでたもんな~」くらいで、それをレーザーで消そうともあまり思わない。

これは全部、私の場合で、ムダ毛もシミもあまり目立たないからかもしれないけれども。

 

美容に関してはそんな感じだけど、スプラトゥーン3のオキモノのことは気になるし、ラルクのことについても相変わらず気になるし、子どもが好きなワンワンわんだーらんどについてもめちゃくちゃ気になる。

そうやって、なんとなく優先順位というか、興味関心がわくことが絞られてくるなぁと思う。

 

そんな中で、誰かがどんな朝食を食べているか?なんて、どうでもよくなる。

(時々、SNSで流れてくる美味しそうなご飯には触手がうごくけど。)

 

 

モノでは人生は変わらない

そんな中、変わらずに「充電器で人生変わっるよ~!」なんて言っていて、なんだか滑稽だなぁ・・・なんて思ってしまう。

 

本人もそんなことわかっていての「表現」だと思うけど、充電器を3つ4つ買ったとて、人生なんか変わらないのだ。

たしかに充電が早くなったら楽にはなるかもしれないけど、「楽になる」だけだ。

 

私はオフィスで仕事していて、充電しっぱなしだったりするから、充電器の性能もあまり気にならないし、なんなら充電が切れそうでも、そこまで焦らない自分がいる。

都会の街中には充電器のレンタルをしているところもたくさんあるし、外で充電の必要がある人は、何かしらの備えをしているだろう。

 

充電器の性能と「人生」を合わせて考えられるのも、はあちゅうさんみたいにスマホ依存している人間だけなのだろうなと思う。

 

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専門性がないと、年を取れば取るほど詰む気がする

はあちゅうさんは誰かに「何も専門性がないのにずっと活動し続けていてすごい」みたいなことを言われて、それが私の強みなんだと思ったそうだけれども、その人は残酷な褒め方をするなと思った。

 

note.com

 

けれど、ある時ある人に「専門性もないのに活動し続けているのが、逆にすごくない?他にいなくない?」と言ってもらえて「たしかに。逆にこれが私の売りかも」と思えた。

 

そうやって、「専門性がない」ということを肯定し、「あなたはそのまま、専門性も何もなくていいんだよ」と言ってしまっているからだ。

でも、年を取れば取るほど、生活を切り取って何を食べただとか何を買っただとかだけで、しかも「幅広いジャンル」でそれをやりながら生き抜いていくのは、きつくなってくるだろう。

当然だけれども、年を取れば取るほど、シワが増え口角が下がり、色々なところがたるんでくる。

その中で、どこまで自撮りして何々を食べたみたいなことで勝負できるのだろうか?

 

・・・なんて思ってしまう。

 

 

 

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