ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

どんなに綺麗な言葉で飾ろうと


こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

事実婚解消した、はあちゅうさんと、しみけんさん。

 

お二人の離婚後の言動を見ていると、面白いなぁ・・・と思います。

 

 

離婚しました祭を開催する、はあちゅうさん

まずは、はあちゅうさん。

事実婚を解消したことをインスタやブログで発表して、その後の怒涛の離婚フィーバー。

なんでもかんでも「離婚した女の」「元夫」「パパけん」「ネオ家族」「思い出ピザ」などのワードを出して元旦那さんのことを当て擦りまくり、週1日の家族デーやら宮古島のネオ家族旅行だの、とにかく「離婚!リコン!RI・KO・N!しましたァ!」「休婚!求婚じゃないよ?球根じゃないよ?休婚ッ!!」「私達ィ!新しい形ィ!ネオネネオネオネオ家族ゥ!!」と大々的にやっていました。

さらにそれと並行して、日経xwomanやら朝日新聞系列のAERA.dotやらにロングインタビューが掲載、離婚に至った経緯などなどをメディアで語り、そこそこ話題になりました。

 

www.dokudamiyoshiko.com

 

はあちゅうさん「出産後、結婚が苦しかった」 想像以上だった男女の非対称な構図〈AERA〉(AERA dot.)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース

 

まぁ、コメント読んでいると「選ぶ相手を間違えたよね」「ちゃんと話し合ったら?」「結婚に向かない人だっただけ」と、本人が言っている「社会のせい」とは異なる意見が目立ちますが。

 

彼女を見ていると、自分の「単なる価値観の違いによる離婚」や「愛情がなくなった故の離婚」という、割とありふれたことを、言葉で飾ることで特別な離婚人生を私にだけくださいとばかりに演出しようとしているのだろうな、と思ってしまう。

 

そういうところは、元々コピーライターとして電通に入社したところからずっと引きずっているのかもしれないなぁと思う。

どんなにありふれたことでも、キャッチーなネーミングをすれば、人々の心をつかむことが出来る、みたいな感じ。

短時間の弾丸旅行を「#サク旅」、一般的な傷心旅行であるだろう「離婚記念(?)旅行」を「#ヤケ旅」とか書けば、自分だけの特別な旅行になる、とか考えていそう。

 

 

風を送っても、どこ吹く風状態

離婚という世の中の3組に1組がやっていることを、言葉を並べて特別な人生の特別な出来事にしようとするはあちゅうさんとは反対に、しみけんさんは離婚後にちょこっと発表したり元嫁をちょろっと褒めた後は通常運転に戻っています。

元嫁が、思い出ピザとか言いながら大昔のデートの写真をあげている中、違う女性との焼肉ディナーをアップしたり、元嫁とはセックスレスで離婚したのに、愛だの恋だの、セックスは男女の最大のコミュニケーション云々だの。

 

 

・・・ああ、この人にとっては、離婚も元嫁と息子と離れて暮らすことも、ほぼノーダメージなんだろうな、と思ってしまう。

 

その分、一生懸命言葉を飾り立てて今までの結婚の意味だの意義だのを語ったり、彼に気を遣っていた、彼を立てていたアピールだのをしている、はあちゅうさんが滑稽に見えてしまう。

全部、空回りだったのだろうな。

 

クリスマスプレゼントを貰いたくて、でも欲しいと言わずに、相手のためにプレゼントを選んで「何円しました」とカードに書いてお返しを暗に求め、でもお返しは貰えないどころか、彼は自分や友達へのプレゼントでブランド品を書い、ヤケになったはあちゅうさんはストゼロ片手に楽天で爆買い・・・とか、もう、何も考えていない彼と、考えてまくって察してアピールしているのに何も届かない彼女とのギャップがありすぎて、書いているだけでつらくなってくる。

 

(むしろこんな扱いでよく4年も事実婚してたな・・・)

 

「男は名前をつけて保存、女は上書き保存」なんて恋と記憶について言ったりするけど、はあちゅうさん達の場合は、元妻は「元夫フォルダを作って今も新しいファイルを作り保存しまくっている」で、元夫は「名前をつけて保存したファイルをゴミ箱に入れてかろうじて完全消去はしていない」くらいの状態なんじゃないかと思う。

 

 

どんなに綺麗な言葉で飾ろうとしても

この2人の違いを見ていると、どんなに言葉で飾って意義だの意味だの価値だのをつけようとしても、面白い見せ方をしても、中身がなければどうしようもないんだろうな、と思う。

 

話は少し変わるけど、少し前からTikTokLIVEの動画広告を時々見るんだけど、目隠しチャンバラとか、電流ビリビリドミノ作りとか・・・『世界の果てまでイッテQ!』で見たんだけどって思うような内容がCMになっていて、TikTokの世界もあまり既存のテレビと大差なくて、出演者と演出だけちょっと今風になっているだけなんじゃないか、と思った。

この話が今までとどう繋がるかというと、既存のコンテンツを、見せ方だけで新しくて良いものに見せようっていう動きがあるよねって話になる。

そして、私はそういう「演出」がちょっと、いや結構嫌い。

 

 

まだ「コンテンツ」で消耗してるの?

中身がなくてもネーミングや演出でそれっぽく見せる・・・というのが、これほど伝わらない男性と結婚(事実婚)して一緒に生活して離婚(事実婚解消)したことで、彼女の中に変化があったのか、というと全然なくて、相変わらず綺麗でちょっとキャッチーな言葉で自分を飾ろうとしているけど、そうやって外側を飾れば飾るほど、見られ方とかはどうでもいいから中身を磨こうっていう気持ちが遠退くのではないかと思う。

 

今も、オーストラリアのファストフードは画面からタップ注文で新しい~とか書いて「発信」してるけど、それがどうしたというのだ?

松のや*1のセルフサービス店舗の注文システムとほぼ変わらんぞ?

日本で松のやの注文システム撮って「便利ィ!」ってやってる外国人見たら微笑ましくなるけど、それが私のコンテンツですって言われたら、ハァっ?てなる。

 

まぁ、旅行で見たものを紹介するのは楽しいけどね。

だったらもっとこう・・・もう少しその人ならではの視点を見たいなぁって思う。

 

「事実」を切り取りアップするのではなく、「事実から自分が考えたこと」とか「ある事実と別の事実や背景を結びつけること」が、コンテンツ作りなのではないかと私は思うんだけど、彼女は相変わらず切り取って貼り付けてばかりで、それを綺麗に見せようと飾ることに熱心に見えて、私は「なんだかなぁ」と思ってしまうのだ。

 

どんな綺麗な言葉で飾ろうと、中身が見当たらない。

私にはそんな風に見えてしまうのだ。

 

 

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*1:松屋系列のトンカツ屋。最近はカレー屋のマイカリー食堂と合体しがち。