ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

【本感想】傲慢と善良 見えない壁を壊せるかどうか

こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

書店をふらりと巡っていたら、こちらの本をポップで大プッシュしているところがありました。

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傲慢と善良 (朝日文庫) [ 辻村深月 ]
価格:891円(税込、送料無料) (2022/11/13時点)

楽天で購入

 

後日気になったので書店に買いに行ったら、なぜか他の本も含めて計4冊お買い上げすることになった・・・

 

 

どんな内容なの?

公式サイトによると、こんな内容です。

 

婚約者・坂庭真実が姿を消した。その居場所を探すため、西澤架は、彼女の「過去」と向き合うことになる。「恋愛だけでなく生きていくうえでのあらゆる悩みに答えてくれる物語」と読者から圧倒的な支持を得た作品が遂に文庫化。《解説・朝井リョウ》

 

周りに「良い子」と言われるし、婚約者自身も彼女を「良い子」と言いたくなる。

婚活で出会って2年付き合って婚約した彼女が突然姿を消して、彼は彼女の行方の手がかりとなるようなことを探し始める。

 

群馬出身の彼女が育った家庭、親の勧めで入った結婚相談所の仲人、お見合いをした人、群馬時代の職場の同僚、直前まで勤めていた職場の同僚・・・色々な人に出会うことで、自分の、そして今まで見えなかった婚約者の「傲慢さ」に気づいていく。

 

私が見たポップ画像が、公式サイトにあったので、こちらも載せておきます。

辻村深月『傲慢と善良』公式サイト

 

 

「婚活」で見える、ゆるく分断されている世界

私が今、「そういうこと」を考えているからなのかもしれないけれども、これを読んでいて「分断されている世界」ということを感じた。

 

主人公は、東京の私大(多分早慶やMARCH)出身で、商社マンをしたのちに独立して自身の親が始めたビールの輸入販売をする会社を経営している。

対して、その婚約者の真実(まみ)は、地元の女子高から女子大に進み、県庁の非常勤職員として働き、地元で婚活をした後に上京してきた。

 

物語の前半では、その2人が、そして周りの人達が感じていた「ギャップ」というものが見えてくるのだ。

それを読んでいて、この本を思い出した。

 

www.dokudamiyoshiko.com

 

現代の日本は、表向きには「差別」はない。

でも、育った地域や家庭環境で、なんとなく「差」が生まれ、階級ではないけれども「カテゴリ」みたいなものは出来、そのコミュニティの中での常識とか当たり前とかマナーとかをもとにして生活する。

 

たとえば、私の出身地だと、地元トップ校があり、偏差値50(真ん中)の高校があり、そのちょっと上の高校もあり、また「名前が書ければ受かる」と言われていて30%位が中退して卒業出来ない高校もある。

中学の時点でなんとなくどこに進むか見えてきていて、入った後もなんとなく決まった道をたどる。

高卒で就職してハタチ過ぎくらいで退職して結婚して出産して、とか、地元のトップ校から国立大学に入ってそのまま教員になる、とか、高校中退して飲食店でフリーターをしてのれん分けで独立して夢や希望を語り出す、とか。

 

そうやって、なんとなく人生の流れが決まっていくのはなぜなのだろう?と同窓会に参加したり噂話を聞くたびに思っていた。

自分で選択した自分の人生のはずなのに、なんとなくその育った環境で全てが決まっている感・・・

・・・それは、18歳までという、一番感受性豊かで色々なことを学ぶ時期におかれた環境というのが、その後の人生を大きく左右するからなのかもしれない。

そして、それは「自分」ではなく、特に前半は「親」が作った環境なのだ。

 

彼は、群馬の婚約者の父母をこう評する。

この人たちは――世界が完結しているのだ。

自分の目に見える範囲にある情報がすべてで、その情報同士をつなぎあわせることには一生懸命だけど、そこの外に別の価値観や世界があることには気づかないし、興味もない。

 

そういう両親に育てられると、こういう人生を歩んで、こういう子になるのか・・・と、彼女のルーツがなんとなくパターン化されてしまう。

 

彼の女友達は、彼女をこう評する。

マイナスのことを書く時でさえ、自分のことを「似合う」って言葉で肯定するような、そういう子だよ。自己評価は低いくせに、自己愛が半端ない。諦めてるから何も言わないでって、すっといろんなことから逃げてきたんだと思う。

 

こうして人を評するのも「傲慢」なのかもしれない。

そう考えだすと、何もかもが「傲慢」に思えてしまう。

 

 

自分の傲慢さに気づいて、変えられるのか

この物語は、前半でこんな感じで「傲慢」に気づかされる。

誰かが誰かを評する時、自分が誰かを「結婚相手として選ぶ」時、誰もが皆「傲慢」になっているということを、主人公と共に気づき、主人公が気づいていない傲慢さにも読者は気づき、「誰もが傲慢なのだ」ということに気づかされて、ダメージを受けながらもなお殴られ続けるようなパートが続く。

 

そして後半に続くんだけど、そのまま今まで生きてきた世界の違いに気づいて、自分や相手の傲慢さに気づいて・・・でも、その傲慢さを認めた上で相手のことを少しずつ思い始める。

ゆるく分断された世界の、見えない壁を壊しに行くのだ。

 

その過程もなかなか面白いので、気になった人はぜひ読んで欲しい。

最後の朝井リョウさんの解説もなかなかピリッとしていて素敵です。

 

 

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