ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

【本感想】彼女は頭が悪いから 平行線の世界たち

こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

ずっと前に購入して、長らく読めていなかった本を読み終えました。

 

それが、こちら。

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彼女は頭が悪いから (文春文庫) [ 姫野 カオルコ ]
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読み終えなかった理由は、8-9月にかけて『ONE PIECE』90巻無料開放と『ゴールデンカムイ』全話無料開放に引っ掛かったのが大きくて、残りは育児でドタバタしていたという感じなのですが・・・とうとう最後の1行までたどり着きました。

最後の1行がなかなか印象的で、しばらく放心状態になって、そこからむくりと起きて感想を書き始めているところです。

 

 

どんな内容なの?

公式サイトによると、こんな内容です。

 

横浜市青葉区で三人きょうだいの長女として育ち、県立高校を経て中堅の女子大学に入った美咲と、渋谷区広尾の国家公務員宿舎で育ち東大に入ったつばさ。偶然に出会って恋に落ちた境遇の違う二人だったが、別の女の子へと気持ちが移ってしまったつばさは、大学の友人らが立ち上げたサークル「星座研究会」(いわゆるヤリサー)の飲み会に美咲を呼ぶ。そ して酒を飲ませ、仲間と一緒に辱めるのだ…。美咲が部屋から逃げ110番通報したことで事件が明るみに出る。 頭脳優秀でプライドが高い彼らにあったのは『東大ではない人間を馬鹿にしたい欲』だけだったのだ。さらに、事件のニュースを知った人たちが、SNSで美咲を「東大生狙いの勘違い女」扱いするのだ。
読み手の無意識下にあるブランド意識、優越感や劣等感、学歴による序列や格差の実態をあぶり出し、自分は加害者と何が違うのだと問いかけ、気づきを促す社会派小説の傑作!

 

この小説は、最初から「結末」はわかっています。

ちょこちょこと「公判」の内容に触れながら、「この話は半年後にこのように供述された」的な脚注を挟みながら・・・事件にかかわった彼ら・彼女らの生い立ちから高校生活や大学生活が詳細に記されていくのです。

 

そして、物語の中盤くらいで「被害者」と「加害者」は出会う。

 

私たちは、その様子を「結末」を知りつつ眺めることになるのです。

 

先ほど「マンガで忙しくてぇ~」と書いていましたが、正直に言うとこの「結末がわかっていてそこに落ちるために進む」という展開がちょっと憂鬱で、気力と体力とある程度の時間がある時にしか読めなかった、というのも時間がかかった理由でしたね。

 

 

自分が育った環境が「スタンダード」になっている

前半の「生い立ち」の部分を読みながら私が思い出したことが、いくつかあります。

 

1つ目は、百人一首の話。

私は中学まで片田舎の公立校で、高校で少し都会の進学校に入りました。

その高校では、毎年全校で「百人一首大会」が開催されるのです。

『ちはやふる』と同じ、競技かるたですね。

各クラスで5名ずつ代表を選出するのですが、クラス内予選でずば抜けて速い子がいるのです。

聞けば、「子供の頃からお正月は家族で百人一首をしていた」と。

しかもそれが1人や2人ではなく、40人中5~6名いるのです。

お正月と言ったら大人は麻雀か花札を、子どもはババ抜きをやっていた私は大変驚きました。

こんな平仮名ばかりで子供時代なんて意味が分からないような句に、小さい頃から慣れ親しんできた家庭があるのか・・・と。

「家柄」「教養」というものを初めて感じた瞬間でした。

 

そしてもう1つは、生ビールの話。

その昔、20代半ばである人達と合コンをした時のことです。

向こうは女の子1人+男の子が5人くらい、こちらは女の子5人くらいだったと記憶しています。

女の子1人ずつが職場の同僚で、こちらは片田舎の中学校の同級生、向こうは横浜あたりの私立の中高一貫校の同級生でした。

どこの学校だかは覚えていないけれども、「家がお金持ちなんだろうな」と思った記憶だけ残っている。

私たちは最初の1杯で「とりあえず生!」と叫んだのですが、男性陣が目をまん丸にしたのです。

「女の子なのに、ビール飲めるの?」

・・・はぁ!?

彼らは本気で驚いていました。

女の子というのは、つぶつぶイチゴサワーかカシスオレンジしか飲まない生き物だと、心の底から信じていたようなのです。

こいつら、一体今までどんな女と飲んできたんだ?

私たちは開き直って、レバ刺し(当時食べられた)、焼酎ロック、泡盛ロックなどなど、彼らの期待を裏切りそうなものを沢山注文し、そのたびに「女の子なのに、レバ刺し食べられるの?」「女の子なのに、焼酎(以下略)」「女の子なのに(以下略)」と驚かれるのを面白がって、そのまま元気に解散しました。

「女の子は生ビールを飲めない」と思わせる女の子とばかり飲んでいたら、本気でそう思って生きていくこともできるんだな・・・と思ったのです。

 

・・・とまぁ、以上は私のどうでもいい思い出なのですが、これと似たようなことが彼ら・彼女らの生い立ちの中で形成されていく様子が描かれているのです。

 

「恋」とは何か、「付き合う」とは何か、「自分の価値」とは、「評価」とは、「家族」とは、「友人」とは、「期待に応える」とは、そして「東大生」とは・・・色々な「名詞」が、それぞれの育った環境の中で、微妙に違ったニュアンスで認識され、各自の中で形成されていくのです。

 

自分が育った環境が全てで正しくて、違う世界とは交わらないまま大人になっていく・・・

今の東大生は、小さい頃からお受験を経て私立の小学校~高校まで行き東大に入るケースが多いと聞きますが、それがこの小説に出てきたような「純粋培養の東大生」になっている理由なのかもしれません。

いや、そうではないな。

違う世界が、「見えない環境」なのではなく、「見ない」「見ようともしない」まま大人になるから、こういうことになってしまうのだろう。

 

他校の女子マネのことを代々「浅倉」「南」と呼び、本名を覚えようとしない彼らは、その「浅倉」にも「南」にも人格があるということを、そもそも理解しようとしていないのだ。

 

東大生の世界と、それ以外の世界。

小説に出てくる東大生の中では、明確にそこには線が引かれ、「ここから先は見ないゾーン」に設定されている。

それがふとしたきっかけで、その境界線が一瞬途切れるんだけど・・・結局大きな交わりはなく、閉じてしまった。

そして閉じたあとで「事件」が起こるのです。

 

 

なんとなく肌で感じてきた「嫌な感じ」がふんだんに含まれている

私は読んでいて、「住む世界が違う」ということを、自分自身がどういうタイミングで感じたかということを思い出しながら読みました。

上に書いたこと以外にも、大学生の時に男子校出身者から「今までどうやって生きてこれたかわからないブス」と言われたことや、サークルにいた他大学の女の子のことや、「東大生と結婚することを狙って○○女子大学に入る」と宣言した知人のことなどなど。

記憶の彼方に行ってしまっていたこと、忘れていた思い出のようなものが、どんどん掘り起こされてきました。

 

私は大人になったし、私の現在いる世界には、こういう「嫌な感じ」は、今のところ、ない。

でも、日本の中には確実にこの「住む世界」の問題があり、「自分が『上』、他の人が『下』だと思って疑わない人達」がいる。

そして私の子どもは、大人になるにつれてこの「住む世界」というものを肌で感じていくのだろう。

 

私は親として、どうやってその「世界」を伝えていったらいいのだろうか・・・と考えさせられる1冊でした。

 

書きたいテーマはまだあるんだけど、今回はこのへんで。

 

 

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