こんにちは、ドクダミ淑子です。
はあちゅうさんが、「子供がかわいそう」というコメントに対して、長文で反論しているのを見かけました。
それが、こちら(ドドンッ!)
要約すると、こんな内容です。
- 日本社会の家族の形が変わることへのネガティブな反応を変えていきたい
- 「子供のためには離婚しない方がいい」みたいな考え方も変えていきたい
- 「離婚家族」と引っかかりを覚えるような表現をするのも一つの問題提起である
・・・うん。
なんか、自分の「円満離婚家族」を、世のため人のため社会を変えていくため、という壮大な理由付けをしているなぁ、と思ってしまう。
離婚に対するネガティブイメージ?
はあちゅうさんがおっしゃることもわかるんですよ。
離婚=悪、みたいなイメージとか、離婚した人=何か問題がある人、とか、そういうイメージがある人もいるかもしれません。
・・・って書いたけれども、そんな人、そんなにいるのか?
3組に1組が離婚する世の中で、私の周りにも離婚経験者なんてたくさんいるけれども、離婚=悪なんてイメージはすでにあまりなくて、昔みたいに、ひとり親家庭=かわいそうっていう脊髄反射みたいな人なんてほぼいなくなっていると思うんだけど。
はあちゅうさんに対して発せられる「かわいそう」は、単に離婚したからかわいそう、だけじゃないいような気がする。
あ、でも今回のコメントの主は「離婚」「元夫」というワードが引っかかるっていうから、ネガティブなイメージを持っている人ですね。
なんというか、「仲良さそうにしているけど、実はもう家族じゃない」ってことに引っかかるってことですかね?
「かわいそう」と言えない方がかわいそう
なんか最近、「かわいそうと言ってはいけない」みたいな風潮みたいなのがあって、私はむしろそっちの方が引っ掛かる。
「貧乏なのは、かわいそうじゃない」
「障害があることは、かわいそうじゃない」
「家族の形が他の人と違うことは、かわいそうじゃない」
なんか、「かわいそうって言うこと自体をストップさせよう」って風潮。
たしかに、他人の家庭に対してあれこれ言うのは失礼なことなんだけど、そうやって「まぁ、人それぞれだからねぇ・・・私が口出すことじゃないわ!勝手にやって頂戴」で全てを終わらせることもまた、多様性と言いつつただの無関心で終わらせるみたいな感じになってしまうのではないか?と思う。
なんというか、「置かれた環境をそのまま受け入れ、変化を望まず文句を言わず生きなさい」みたいなものを感じるのだ。
貧乏でも、お金が欲しいと望んではいけない。
障害がある人も、より生きやすくなる方法を望んではいけない。
人と同じように生きたい人も、それを望んではいけない。
・・・他人のことをあれこれ評するな、を突き詰めていくと、こういう「無関心」な世の中になるのではないか?と私は思う。
本人が幸せなら、それでいい
最終的には本人が幸せなら、それでいいと思うんですよ。
貧乏でも何でも、本人が幸せならいいと思う。
でも、本人が周りから「かわいそう」と言われることで実感する、自分の現状みたいなものもあるのではないだろうか?なんて思う。
私自身は、昔から変わった子と言われてきたし、仕事を始めた頃はとにかく抜け漏れが多くて、「頭がおかしい」といった感じのことを言われたけど、それを意識したからどうにか対策を取れた部分もあったと思う。
そして、今の若い子はかつての私と同じようなヤバい子でも、「まぁ彼はそういう人だからなぁ、仕方ない」で流されてしまって、結局いつまでも直らず同じミスを繰り返している。
多様性を受け入れ過ぎるのも考えものだと思うのだ。
結局、自分のことを肯定されたいだけなのよ
・・・とまぁ、色々書きましたが、はあちゅうさんは自分の決断や、発信内容を批判されたくないだけなんだろうな、と思う。
「うちは他の家とは違う新しい家族の形です!」と言いつつ、誰かに「引っかかる」と言われてしまうと、動揺してしまう。
それも人間らしいといったら人間らしいんだけれども。
こちらもどうぞ