こんにちは、ドクダミ淑子です。
「私はなぜ、この人の言葉がスッと心に入ってこないのだろう?」
そんな風に疑問に思うことがあります。
本人は苦しんでいるのに、その苦しみを言葉にしているのに、私はその言葉を受け入れられずに、何の理由ではじいてしまうとき。
その理由は何だろう?と思って、あえてちょっと苦手だなと思う人達のTwitterを覗きにいきました。
こういう、「苦手な人の言葉から自分の考えを見直す」っていうのは、性格悪いですが、私がよくやることですね。
そして、案の定驚くような言葉を目にしてしまうのです。
私はみんなのために戦っている?
その方は、バイト先の葬儀場の服装規定が「女性はパンプス必須」ということから、「女性のみ負担の大きいヒールを履かなければいけないなんて女性差別だ」と署名活動を始めて・・・という方です。
その方はネットで随分叩かれているようですが、先日Twitterを開いたらこんなことが書かれていました。
〈前略〉ほんと、いいねじゃ誹謗中傷や嫌がらせや差別はなくならないよ、いい加減気づいて
〈前略〉いつまでも傍観者でいるのやめてください。私から見たら嫌がらせリプライしてくる人も黙ってる人も同じにしか思えない。
でも反応を見てると、みんな自分には関係ないと思っているのかと感じる。〈中略〉個人的な問題だったらこんなことしてないよ。
読み間違えていたら申し訳ないけれども、前後の文脈と、リプライでついている内容と、#(本人の名前)さんへの誹謗中傷をやめろ ってハッシュタグをつけたツイートをリツイートしまくっていることを考えると、私にはこういう風に読めてしまった。
- 私への嫌がらせにみんな声を上げろ
- 私の活動は私のためじゃなくてみんなのためだ
うーん・・・
この方は女性差別と戦う!と言って活動されていますが、私はこの方に「女性のために戦ってほしい」とは思っていない。
ましてや、「私のためにこの人が戦ってくれている」とも思わないし、もしもそういうつもりなら、やめていただきたいくらいだ。
だって、私は女性だけど、彼女とは違う世界に住んでいて、彼女の思い描く未来には賛同できかねる。
パンプスを履きたくないから法律を変えよう、とは思わない。
私はパンプスを履きたくなかったら黙ってフラットシューズを履いていくし、それで何か言う職場でもない。
何か言う職場だったら、一通り職場と戦って、それでも変わらないなら転職する。
そして気分によっては、ハイヒールだって履いていく。
活動自体はそういうことで悩んでいる人がいるなら否定はしないけど、彼女の攻撃的な態度や非論理的な思考回路も含めると、支持もしない。
応援も支持もしないが、否定もしない・・・つまり、無関心なのだ。
それなのに、彼女は鼻息荒く、「私が誹謗中傷されているのは私のせいじゃない、私がみんなのために戦っているからだ」「だから、私のことを悪く言う人にはあなたも攻撃してほしい」みたいなことを言っている。
いやいや、ちょっと待ってくれよ。
「お前が私のアンチと戦え」って、往年のはあちゅう先生ですか?
今やそんなことしてくれるファンも減り、せいぜいDMで告げ口してくるファンくらいしかいなさそうですけど。
私の夫が育休取れないのは、社会の問題?
そしてもう一人。
披露宴でのスピーチ内容を暴露したりして、たびたび炎上している某キャリアコンサルタントの女性。
彼女の旦那さんが、育休取れないということがありましたね。
「夫に育休取ってと頼んでOKもらってたのに、前日になってドタキャンされる。育休取れない社会はおかしい」みたいなことを書いて、「いやいやそれは旦那さんが本当に育休取ろうとしているのか?」「社会の問題ではなく、あなたの家族と旦那の会社の問題だろ」というツッコミの嵐・・・という件です。
ああ、私のもやもやが少しずつ晴れてきた。
そうだ、私がスッと腹落ちできない言葉、それは「私はあなた方のために頑張っています!」という方向から発せられる言葉だ。
そして、そういう人の発言や活動は、私からすると「いいえ、そんなこと頼んでいません」なんだ。
勝手に「女性代表」「ママ代表」みたいな感じでやってくる人に、私は違和感を覚えてしまうのだ。
私の問題は、私の問題だ
そうやって、「私の問題は、私だけの問題ではない・・・っていうか、むしろこれは社会全体、日本の問題である」みたいに、自分のことを社会全体の代弁者みたいに見なしてしまう人が、私は苦手なのだ。
もちろん、自分が抱えている問題が、他の人にも問題になっていることだってあるだろう。
でも、それを自分の周りで解決することなく、いきなり「日本全国民に訴える!我々女性の主張は~」みたいなのが、なんか違うと思ってしまうのだ。
まず、自分の周りで、靴の件なら職場で出来る限り交渉してから、もう少し広い範囲で活動すればいいじゃないか。
そうやって、「パンプスが暗黙の了解になっている業界」で活動していけば、もう少し浸透しやすい活動になったんじゃないだろうか?
まぁ、そういう「根回し」みたいなのが苦手な人だからこそ、できる発言なのかもしれないけど。
私の主語は「私は」であり続けたい
話は戻って。
少なくとも私は、そういう主語の大きな人達の言葉は、スッと入ってこない。
「私は困っている」なら応援したくなるけど、「私が困っていることはきっとみんな困っていてこれは日本全体の問題だ」って言われると、「いえ、私は困っていません」とピシャっとしたくなってしまう。
だから、私はいつまでも主語は「私は」で居続けたい。
「私は~と思う」
もしもその「私は」に共感してくださる方がいれば嬉しいなと思いつつ、書き続けたい。
こちらもどうぞ