ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

老化とアンチエイジングと年相応と


こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

「年を取る」ということは、悪いこととして捉えられがちだなぁと思う、今日この頃。

 

最近は「年齢としての年寄り」をバカにするということは失礼なことだと定着しつつあるけれども、「思考としての年寄り」はバカにする、というか批判されても仕方ない、みたいな雰囲気がある気がする。

 

たしかに、「母親ならポテトサラダぐらい自分で作ったらどうか」「ベビーフードを買うなんてかわいそう」みたいなことをお店で見ず知らずの人に言う人(がいるとすれば)や、新聞の投書欄なんかで「いやいや、それは貴方がおかしいんですよ?」みたいな人もいる。

私も、ワイドナショーで武田鉄矢氏がなんか言っている時に「何言ってんだこのジジイは?」と思うこともある。
 
・・・んだけれども、そうやって「老人の思考回路や行動様式はおかしくて、若者のそれこそが正しい」っていうのも、なんだか違うんだよなぁ、と思う。
 
TwitterやTikTokをやっている、おじいちゃん・おばあちゃんが賞賛されて、家の軒先で将棋や編み物をしているおじいちゃん・おばあちゃんが古臭いと言われるのは、なんか違う。
・・・そんな感じのことを、思う。
 
 

いつまでも新しいものを追いかけ続けるのが良いことか?

これについて考えたきっかけは、こちら。
 

 
いつものように、はあちゅうさんの言葉からですね。
 
彼女は、いつも新しいサービスを追いかけ、「みんな誰を情報源にしているの?」「情報通になりたい…!」と言い、とにかく色々な新しい情報をゲットしようと奔走し続けているようです。
そして、それを「私は何の才能もないのに新しいサービスだけを追いかけてごりごりやりこんで、先行者利益だけで生き残ってる!」とご自慢されています。
 
なんていうか、この「早くからやってます!」ってことでドヤるのがもう・・・
「私、このバンド、インディーズの時から知ってた!ドヤァ」っていう面倒くさいバンギャかよ!?
 
そんなこと言ったら、私だってファミリーコンピューターからゲームやってますけど?
ゲーム歴だけで言ったら30年くらいですけど?
スプラトゥーンは、無印の時からやっていますけど?
でも、ランクはいまだにA帯(雑魚)ですけど?
・・・っていう話なんですよね。
「歴」だけを自慢しても仕方がなくて、その中でどのくらい実力があるのか示していただかないと。
あ、早くからやっているだけあって、フォロワー数だけは多いですかね?
反応率は、アレですけど。
ブログで「みんなの○○を教えて!」で、コメント10件とかなのを見ると、「みんなぁ・・・」って思うけど。
 
そうやって、新しいものを追いかけ続ける、というのが良いことだと思っている人も多いのかもしれない。
 
でも、私にはそうは思えないのだ。
 
 

若者のやり方、中年のやり方、老人のやり方

「若者と同じように、常に新しいサービスに触れながら、若者の感覚を忘れないように生きていく」というのも楽しいのかもしれません。
でも、私がそうなりたいか?というと、まったくそんなことはありません。というかむしろ「深みがないよな・・・」と思ってしまう。
 
私が思うに、「新しいものを追いかける」っていうのは、若い子の方が得意だと思うんですよね。
ある程度年を取ったら、「なるべく早く手に入れて、なるべく早く使えるようにする」というのが必ずしも重要かというと、そうではない、と思う。
そういう、スピード感と体力とある種のセンスが必要な部分は、若者に任せてみるっていうのも、1つの方法なんじゃないか?と思う。
我々中年は、若者に「今、これが流行っているんです!」と言われた時に、「昔あった○○に似ているね」「っていうことは、こういう要素があるものが流行っているのか」と、情報の最前線から一歩引いて分析したりアイデアを発展させたりする・・・という役割があるのではないだろうか?
 
そうやって、単に「早く食いつく」ではなく、今までの経験を重ねて「ゆっくり噛みしめる」みたいなことが出来るのが、中年の良さであり、中年に求められることなのではないか?と思うのだ。
 
 
以前、この時にも書いたけれども、若者に迎合して、若者に合わせて、若者ぶって生きていくことが、中年の良さにはつながらないと思う。
「精神的に大人になること」「思考を深められること」
この辺を、もっともっと、見ていく世の中になってもいいんじゃないかな・・・と私は思うのです。
 
 
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