こんにちは、ドクダミ淑子です。
小さい頃によく見た夢があります。
それは、自分の住んでいる、住宅地の風景。
片田舎のニュータウン育ちです
私は、都心までギリギリ通えるくらいの片田舎の出身なのですが、その片田舎の中での「ニュータウン」的な、山を切り開いて作った住宅地に住んでいました。
だいたい200戸くらいあって、私が4歳くらいの時に引っ越してきたので、近所の子もだいたい同世代くらい。
まぁ今は、ほとんどの子が家を出て、その中の何人かは子連れで出戻ってきたり家族連れで近所に移住したり、中には実家に住み続けて地元で働いている子もいたり・・・と、人生様々ですが、平均年齢が上がり続けていることは間違いないだろう、って街。
「街」といっても、昔のニュータウンみたいに、中にスーパーや商店街があるわけでもなく、本当に家しかないんだけどね。
子どもの頃によく見た夢
さて、そんな私が子供の頃によく見たのは、こんな夢。
いつものように、小学校から帰ってくるのですが、自分の家が無いのです。
「無い」というか、あるんだけれども、その表札には、知らない人の名前が書かれている。
その名前も、(当時知っていたのかは不明だけど)ハングルのような、何か記号のようなもので、自分では読めない。
「自分の家と同じ見た目なのに、自分の家ではない」ということに混乱して、近所を走り回るのですが、そこには誰もいない。
時々、いるパターンもあるんだけれども、隣の家の人も知らない人で、さらに混乱する。
・・・みたいな夢を、時々見ていました。
私は特に夢占いとかはしないのですが、きっと「自分の居場所」みたいなものに迷いがある子だったのでしょう。
自分の家が無くなってしまったら、自分の家族が消えてしまったら、自分が死んでしまったら・・・などなど。
もう、子ども時代のことなんて昔のことで忘れてしまったけれども、なんとなく、その「居心地の悪さ」みたいなものは、覚えている。
それが、家族の仲の悪さに関係しているかどうかは・・・多分あるんだろうけど、わからないし今更分析したくもないかな。
夢が現実になっても
さて、なぜ今更そんな話をし出したかというと、最近子どもとの生活で、ふと思い出す出来事があったからです。
今の家はマンションなのですが、子どもがエレベーターの他の階のボタンを押すんですね。
私の家の玄関はエレベーターの扉が開いたら見える場所にあるのですが、家についたと思ってドアが開くと・・・「あれ?ウチじゃない」と思うことがあるのです。
子どものイタズラ(本人はイタズラだと思っていない)だな、と思ってまた乗り直すんですけど、その時にふと思ったのです。
これは、昔よく見た夢と同じじゃないか・・・と。
怖い夢、嫌いな夢と同じように、今「自分の家と同じ見た目だけれども、自分の家じゃない」なんて風景を見ているじゃないか。
夢の中であんなに絶望して走り回って、起きてからもなんとなく嫌な思いが消えなくて・・・ってなっていた風景を、私は終の棲家(分譲マンションだから)として選んでいたんだな、と思った。
そして、ドキッとしながらも、「ああ、もう大丈夫だ」と思えた自分にも気づけた。
子どもの頃は、変な感覚が研ぎ澄まされていることもあったのだろう。
今の私は、良い意味で(これは反語でも何でもなく)、鈍感になれたのだと思う。
話は、子育てへと続く
「そういえば、そんな子どもだったなぁ・・・」と思うのですが、我が子はそんな私の血を引いてか、それとも幼児特有のものかはわかりませんが、1人でいることを極端に怖がります。
寝室で起きた時に1人でいるのも嫌で、起きると同時に泣き叫ぶので、だいたい添い寝。
まぁそれも、一緒にいることで、「あなたの居場所はママの隣だよ」と伝えてあげるだけで安心するのなら・・・と、かつての自分を思い出しながら、子どもを後ろからぎゅっとするのでした。
こちらもどうぞ