こんにちは、ドクダミ淑子です。
はあちゅうさんの、インスタのこの投稿がずっと引っ掛かっていました。
ざっくり言うと、「自分の内面の意識がダメ母認定してきてつらくなるという、はあちゅうさんが、フォロワーからの『羨ましい』を『裏切り者』に脳内変換した」という話です。
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先日、久々に夜に友達と出かけるのが
嬉しくてインスタライブで話したら子育て中で自由時間を持てないママから
「羨ましい」とコメントがあったんだけど「羨ましい」がなぜか
「裏切り者」に見えてしまって。「私はこんなに大変なのに、
あなたはラクをしてずるい」とそんなふうには書いてないのに
頭の中ではそう変換されて、楽しみだったはずの外出も、
急に違反行為を犯しているかのように思えてしまって😭母親だって外出して
気晴らししていいはずなのに、特定の誰かっていうより自分の内面の意識が、
気を抜くとすぐに自分のことをダメ母認定してきて、実際には誰にも責められてないのに
自分で自分を責めてしまってつらくなることが
定期的にあります。母親が子どもや夫に抱く
罪悪感を英語で「マミーギルト」
というそうです。この罪悪感、自分が抱えているのも
苦しいけど、このまま抱え続けたら
いつか誰かを苦しめてしまう気がする。自分の苦労を他の人も同じように
味わうべき、と思うのではなく、どうか同じ苦労を味わわないで
もっとラクに生きてねと
笑顔で言えるようになりたい✍️#日記 #育児日記 #マミーギルト
#mommyguilt #フェミニズム #feminist #feminism
第一印象で「良いこと言っている風でありながら、ちゃんと読むとあれ?と思うことを言っているなぁ」という予感がしました。
・・・はあちゅうさんの書く文章を読むと大体そう思うんですけどね。
私はずっと「母親だって息抜きが必要」と言っているし、つらいつらくないのラインは人それぞれだと思っているので、はあちゅうさんが夜外出しようと出会い系アプリで会った人とお茶しようと高級寿司デートをしようとチャミスル飲んでインスタライブしようと、その辺をああだこうだ言う気はありません。
ただ、それでいて「ワンオペ主婦つらーい!」と言うことだけは全力でツッコミたいけど。
その「罪悪感」は、子供に向けられたものではない
私の心が引っ掛かったのは、そこではなく、「母親が子どもや夫に抱く罪悪感と書きながら、その罪悪感とやらが1ミリも子供に向けられたものではない」というところでした。
これに辿り着くまでに3日間くらい考えたわ。
はあちゅうさんが「つらい」と感じているのは、こんな言葉。
- 裏切り者
- 私はこんなに大変なのに、あなたはラクをしてずるい
- ダメ母
これって、「母親である自分が周りからどう思われるか」なんですね、全部。
はあちゅうさんの場合、他のママたちから「共感されたい」「尊敬されたい」「仲間だと思って欲しい」「好かれたい」という気持ちがとても強いのでしょう。
だから逆に、「失望」とか「裏切り者」とかの言葉が過剰に刺さってしまう。
「夜遊びに行くことで、子供が寂しがることに対する罪悪感」じゃなくて、「夜遊びに行くダメ母だと思われて、今まで共感されていたフォロワー達から裏切り者扱いされる自分が可哀想」なんだな・・・しかもこれ、本当に言われたんじゃなくて、ただの妄想、思い込み、脳内変換。
こんな長文でつらつら書いているのに、子供のこと全然書いてなくて、そこが切なくなった。
他人からの評価で生きる人生はしんどい
この投稿の件で、はあちゅうさんの人生は他人からの視線とか評価とかで成り立っているんだろうなと改めて感じました。
また別のインスタライブで、夜LINEして朝起きて家族以外のLINEがないと寂しい(つまりは、自分よりも相手の方が長く起きていて自分に連絡をくれなきゃ嫌ってこと)とか書いていたけど、それも「他者から自分へ気持ちが向けられたい」「構ってもらいたい」の表れじゃないかな?と思った。
他人からの関心とか評価を気にするがあまりに、自分の中に他者の視線を住まわせて、「これを言ったら、こういう批判されそう」とか、「これはこういうコメント貰えるだろう」とか、他人にどう思われるかばかり考えるようになる。
そして、自分の中で想定した「きっと貰えるであろうコメント」と違うものがあると、耐えられなくなる。
・・・ってなっているとしたら、それはきっと、しんどい。
だって、他人ってコントロールできないから。
だから、他者に「こういうコメントが欲しい」と押し付けるのか
またこの投稿、一見自分を責めているようなんですけれども、インスタライブでコメントをくれるようなファンを責めているようにも取れます。
少なくとも、「羨ましい」とコメントした人からすると、「え?私のコメントが彼女を傷つけたの?」って思うだろう。
「遊びに行きます」「羨まし~い」って、「ちょっと太っちゃって・・・」「え?全然見えな~い」くらいの、ああ言えばとりあえずこう返すってやつでしょ?
そのコメントの主がこの投稿を見たら、また同じく純粋な気持ちで「羨ましい」と思ったのに、それを否定された人達からすれば、「お前のコメントで私は傷ついた!」といきなり責められているようなもので・・・お気の毒です。
他者目線じゃない、幸せ
そんな、他者からの評価やら関心やらをとても気にしている、はあちゅうさんには、この本を贈りたい。
慣らし保育初日にドトールで久しぶりのクロックムッシュを食べながらの1枚。
今読んでいてまた読み終わったら感想ブログを書こうと思っていますが、「わぁ、この言葉、はあちゅうさんに投げつけてあげたい!」って思う文章がたくさん散りばめられている、とっても素敵な1冊なのです。
この本に書かれているように「他人にどう思われようと私は私」「他人からの評価よりも、自分の気持ちを大切にしたい」・・・心からそう思えれば、もっともっと人生の満足度が上がると思いますよ。
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