ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

自己肯定感は、上げようと思って上がるものではないよね

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

「自己肯定感を上げる」なんていう謎ワードがあります。

 

私がよく拝見しているインフルエンサーによると、たとえば、こうやって上げるらしい。

 

  • メイクをする
  • オシャレをする
  • パジャマから洋服に着替える
  • 自分に優しくする
  • 美容師さんに髪を触ってもらって大事にしてもらう
  • 自分の作った商品を好きになる
  • 自己肯定感の高い人と行動を共にする
  • 情報収集能力を鍛える
  • 正しい性教育を受ける
  • 他人の悪口を言う

 

イマイチよくわからない・・・ので、もう少し考えてみましょう。

 

 

自己肯定感=他者から見た「良い自分」なのか?

上記の自己肯定感って、つまりはどのようなことなのか?

 

まずは、メイク・服装など、見た目でテンションを上げるということ。

「私はちゃんとした身なりをしている」ということで、自信が付き、自己肯定感が上がる・・・と。

まぁ確かにテンションは上がるよね。

でも、それが自己肯定感に繋がるかというと、不明です。

後に書くけれども、「メイクしないと上がらない自己肯定感」っていうのは、そもそも自己肯定感じゃなくない?って思うんですよね。

どちらかというと、「自信」とか「ワクワクする」とか、そういう話なんじゃないかしら?

 

次に、美容師さんの例であった、「他者から大切にされる自分」で自己肯定感を上げるという話。

これはねぇ、自己肯定感じゃないと思うんですよね。

さっきと同じように逆の話をすると、「誰にも愛されない自分」でも、「自分で自分のことが好き」なら、そっちの方が自己肯定感が高いと言えるのではないだろうか。

 

「私は、誰かから大事にされているから、私のことが好き」っていうのはわりと危険な考え方だと思っていて。

そういう人はパートナーがいるときは良いかもしれないけど、いなくなったり、上手く行かなくなったりしたときには一気に自己肯定感が下がるんでしょ?

それで、ろくでもない人に引っかかったりするんじゃないの?なんて思ってしまう。

 

「自分の作った商品を好きになる」と「自己肯定感の高い人と行動を共にする」はなんとなくわかる。

自分の仕事が好きとか、考え方に影響されるとかっていう意味ですね。

でも、「自己肯定感の高い人と行動を~」っていうのは、「ポジティブ」っていうだけな気もする。

 

「情報収集能力を鍛える」「正しい性教育を受ける」「他人の悪口を言う」は、別々の文脈で語られていますが、なぜ自己肯定感に繋がるかは意味がよくわかりませんでした。

 

なんだろう?

「正しい情報を得て、自分を理解する」「他人を貶めることで自分の立場を確立する」っていうのが自己肯定感だと考えているってことなのかしら?

そうすると、その前の項目はまた違うんですよね。

うーん、よくわからない。

 

「自己肯定感」ってなんだ?

 

 

自己肯定感とは、「まぁいっか」だと思う

彼女の言う「自己肯定感」は、きっと「自信」「他者に尊重される私を感じること」「自己理解」「負け惜しみ」あたりなのだと思うのですが、私が思う、自己肯定感は全然違う意味です。

そして、それを上げる方法は、とても簡単。

 

自己肯定感を上げるためにすることは、この言葉を言うことだけ。

「まぁいっか」

 

他人のことが羨ましくなったり、「自分ってなんてダメな人間なんだろう」と卑下したり、誰かに怒られて凹んだり、他人から評価されて悔しい思いをしたり、1日中パジャマで生活したりお風呂に入るのが面倒くさかったり・・・生きていると色々なことがあります。

でもそういう時に、「まぁいっか、私は私だし」と思う・・・それが自己肯定感なのではないでしょうか?

 

何かアクションを起こすことで上げていくものではなく、その時のありのままの私を受け入れて、「色々あるけれども、私は私」だと思う・・・そこには、「他人と比べてどうか」とか「他の人からどう見られるか」なんて言うのはまったく入ってくる余地はないのです。

私が私を見るだけで、その他の視線はない――それが正しい自己肯定感ではないかなと思います。

 

メイクをするとか、パジャマから洋服に着替えるというのは、すっぴんやパジャマの私がダメな私で、着替えてちゃんとメイクをする私がいい私だ、と言っているようなもので、それは幽体離脱した自分が外から自分を観察して、「きっと他者はこう思うだろう」と考えているのです。

美容師さんから髪を触ってもらって大事にしてもらうのも同じ話で、他人から大事にされる私がいい私だと言っているんですね。

じゃあ他人に大事にされない私はダメな私なのか?私はやっぱり答えはNOだと思います。

すっぴんでもパジャマでも髪がボサボサでも、他人から褒められたり大事にされなくても、パートナーがいなくても、「まぁいっか、私は私だし」と言える人こそ、自己肯定感が高いと思う。

また、そうやって他者に自分の評価をゆだねていることこそ、自己肯定感を下げている原因なのではないでしょうか?

 

 

自己肯定感は、上げるために頑張るのではない

私は、自己肯定感って、上げるために努力するものではないと思います。

何もしない、ありのままの自分を、まずは受け入れる、肯定する。

「まぁいっか」でダメな自分であっても、頑張れない自分であっても、丸ごと肯定して、それでおしまい。

そこで、「自己肯定感を上げるために努力する」のは、なんか違う。

 

まずは受け入れる、そして頑張るのは、また別の問題。

だから、「自己肯定感を上げる」と言う言葉に、私はものすごく違和感をいだいてしまうのです。

 

 

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