こんにちは、ドクダミ淑子です。
Twitterでは、日々色々なものが話題になり、時には炎上したりしています。
その中で、思ったことがあります。
元のチョコレートのほっこり話から、書かれていない(&事実と異なる)「経済的に自立していない女にチョコを買ってやる俺様」を勝手に読み取ってしまうのがツイフェミなんだなと思った。
— ドクダミ淑子 (@dokudamiyoshiko) January 11, 2022
プレゼントを贈ることや貰うことで、主従関係が生まれない人達もいるんだよ。それが愛なんだよ。 https://t.co/DUAZoy24AU
今回はこの「書かれていないことを勝手に読み取る」の話を少し書いていきたいと思います。
書かれていないことを読み取られる
「行間を読む」という言葉があります。
「これまでの流れ」「登場人物の動作」などなどから、文字として書かれていない心の揺らぎや気持ちなどを読み取る・・・というものですね。
たとえば、腕時計をチラチラ見ることは「今、何時かな?」というのが通常ですが、「早く帰りたい」「デートの相手を帰らせたくない」、もしくは「完全犯罪のアリバイ成立の為にここにいるが、犯行予定時刻になった。現場は上手く行っているだろうか?」にもなり、それは前後の文脈次第で変わってきます。
「前後の文脈次第で」なのですが、それをすっ飛ばして、「私はこう思う、だからこうに違いない!」と行間を間違って読まれることがあるのです。
それが、冒頭のチョコレートの話。
ちょっと見栄を張って「好きなだけ買っていいよ」という旦那さんと、プレゼントだというのに「2人で1つずつ食べよう」という奥さんの、お互いを想い合うほっこりしたネタを、「経済的に自立していない女に買ってやる俺様」みたいに読み取っちゃう人がいるんですね。
書かれていないことを読み取る人は、「それ」を意識しすぎている
書かれていないことを勝手に読み取って、騒いでしまう人。
その人は、その「書かれていないこと」を、常に意識している、いや意識しすぎているのです。
「ツイフェミ」の人だと、男女差別を意識しすぎていて、男と女が出てくると常に「男が女を虐げている」という文脈でその文章を読もうとしてしまう。
だから、どんな内容であっても、「女性差別だ!」と繋げたくなってしまうのです。
また別の方で、「1歳の娘が母親だけ噛んだり叩いたりする。男尊女卑が染みつき始めている」みたいなことを呟いているのを見かけましたが、これも同じ症状ですね。
常に男尊女卑のネタを探し続けているから、1歳児のふるまいにもそれを結びつけてしまうのです。
また別の自称インフルエンサーさんも、「上か下か」みたいな話に縛られているようだなという話も書いたことがあります。
その昔、私はよくある先輩から二言目には「いい大学を出ているからって調子に乗っているんじゃねえ!」と言われていましたが、その先輩はいわゆる学歴コンプレックスでした。
他の社員の出身大学をきちんと覚え、自分より上か下かと意識し、何かと大学の話をする・・・社会人になってそれはないなぁと思ったものです。
自分の関心のあることは、自分がコンプレックスに感じていることの裏返し。
・・・そんな面もあるのかもしれません。
「関心を持つ」と「意識しすぎない」のバランスって難しい
「関心を持つ」ということは、悪いことではありません。
関心を持つから色々と調べるし、その分野に詳しくなるし、自分の知見が広がり、時には同じものに関心を持つ仲間が出来たりもする。
でも、意識しすぎると、関係ないところまでそれに見えてしまうようになってしまう・・・それは、生活に支障をきたすでしょう。
男女差別の種を探しまくると、世の中のどこにでも落ちていて、それがエスカレートすると「トイレの女性マークがピンクなのはおかしい!」みたいな風になる。
一刻も早くトイレにたどり着きたい人にとっては、パッと見て男性トイレなのか女性トイレなのかがわかるということが、どれだけ有難いことだろうなんてことを全く想像もせずに、「トイレのマークは男女ともに同じ色にしろ!」とか言い出す。
アニメ調の女の子のキャラクターがいれば、スカートの丈がどうとか、胸の大きさがどうとか、太ももの間に三角形の空白が出来ているかどうかとか・・・細かいところまで見て、あれこれ言い出す。
胸が大きくても気になるし、胸が小さくても気になるし・・・「いらすとや」じゃないと受け入れられなくなるし、最終的には「いらすとや」の女性の胸も気になってしまうのかもしれない。
この、なんの軋轢も生まないように配慮に配慮を重ねた大きさの乳にも。
「関心を持つ」と「意識しすぎない」のバランスって、難しい。
鈍感であれば、「それ」に気付かないで過ごせるけれども、じゃあ問題に気づかないままで世の中が良くなるかというと、気付いていないんだから状況は何も変わらない。
気にすれば気にするほど、問題がよく見えて、改善の余地が見えてくるけれども、時には見えすぎるが故に「それ」が自分を苦しめることにもなる。
その中でどうやってバランスを保つかというと、まずは「自分と異なる考えを持つ人や、異なるところに興味関心を持つ人がいる」という事実を受け入れることが大事なんじゃないかなと思う。
そしてできれば、お互いに穏やかに話ができるような穏便な人と、意見交換をする。
・・・って、Twitterでそれが出来たら苦労しないんだけどね。
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