こんにちは、ドクダミ淑子です。
上野千鶴子さんの東大祝辞が話題ですね。
賛否両論あるようですが、私の心にはとても染みましたし、私も入学式でこれを聞きたかったなと思いました。
今日はそんなお話を。
「頭のいいあなたにはわからない」と泣かれたことがある
その昔、入社5年目くらいの話です。
当時、5歳くらい年上のアシスタントがついていた時代がありました。
彼女は、「仕事できるアピール」をしていたので、当時の自分の抱えていた仕事をどんどんと振っていきました。
すると、早々にキャパオーバー。
ここで少し気を遣っていれば良かったのですが、キャパオーバーをしながらも「私は出来ます」と言う彼女の言葉を真に受けて、そのままドカドカと仕事を任せる私。
そして、ミスが発生します。
それも、何度も教えたところを間違えていました。
忙しかったと言い訳をする彼女に、私は少し厳しい口調で言ってしまいました。
「なぜ、同じミスを何度も繰り返すんですか?覚える気がないんですか?」
すると彼女は、突然泣き出したのです。
「頭のいいあなたには、私のことなんてわからない!あなたとは頭の出来が違うから、私には覚えられないんです!!!」
こう言われて泣かれても、私は正直理解できなかったんですね。
覚えられないことに対して言い訳をして、努力を怠っているだけだと思っていました。
運転免許の筆記試験の合格で叫ぶ人たち
また、そのくらいの時期に免許を更新しに行った時のことです。
筆記試験の結果が出る電光掲示板の前で、大声が聞こえました。
「いよっしゃあぁぁぁっ!!!受かったぁぁぁ!!!」
「俺も合格したぁぁ!!」
「うわぁぁ、また落ちた!本気で勉強したのに!!」
「お前何回目?」
「わかんね、20回は落ちてる」
免許の試験って難しいとか落ちるとか言われたから、ちゃんと勉強したけど、試験はびっくりするほど簡単で、なんなんだあの噂は・・・って拍子抜けしたけど、もしかして「免許の試験の難易度」に対する感覚、私がズレているのか・・・?
そして、悟りました。
どうやら、私は他の人よりも物覚えがいいらしい・・・
どうしても、自分が基準になってしまう
人は、物事をとらえるとき、意見を言うとき、「自分の感覚」「自分の経験」が中心になります。
「〇時間やれば合格できる」と、「3,000円=飲み会一回分」って言うのもそれです。
でも、それって別に世間一般のスタンダードかどうかって、わからないんですよね。
わからない中で自分の感覚で語り続けると、それは「頭がいいから私の気持ちがわからない」に繋がってしまう。
20代半ばを過ぎてから、私はそんなことに今さら気づいたのでした。
他人と触れあい続けることで、自分バイアスを自覚して修正すること
過去の私は(今もそうかもしれないけれど)、自分中心の世界で生きていました。
だからこそ、大学入学の時点で上野千鶴子に「自分の世界が当たり前だと想うなよ」と言ってもらえる東大生は幸せだなと思うのです。
私なんかよりもきっと、優秀な人しかいない環境で育った人が多いだろう彼らが、今まで見てきた世界は、もっと清潔潔癖な無菌室だったことでしょう。
バイアスがかかりまくった自分の感覚と、他の人の感覚を見つめること。
そのためには、今までの世界以外をもっと見て、色々な人と話し、世の中の感覚と自分の感覚の違いを見つめ直すことが大切です。
東大という恵まれた環境で、色々なものを見て、そこで得たものを、誰かの幸せに役に立てるようなことに使ってほしいと私は思いました。
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