こんにちは、ドクダミ淑子です。
今まで、記憶力は良い方だと思っていました。
仕事ではお客様の名前、何気ない世間話の中で拾った情報、商談の中でなされた駆け引きの数々などなど、色々なことを覚えていました。
よく「いつそんなこと言った?よく覚えているね」と言った本人すら忘れているようなことを覚えていて、気持ち悪がられたものです。
でも、最近思うようになったのです。
「色々なことを、忘れているな」と。
きっかけは、ふと思い出した記憶
私は色々なことを忘れているな・・・と思ったきっかけは、先日書いたブログの話。
こういう、今は会わないけれども、昔は頻繁に遊んでいて、プライバシーもりもりの話もなんでも共有していたような関係性だった人のことを、どんどん忘れていっているなと思ったのです。
いや、「忘れている」というと語弊があるな。
図書館にたとえるなら、誰もがそこに行って気軽に手に取れるような、いわゆる「本棚」に置いてある記憶ではなく、薄暗い地下室にあって、特別な手続きを踏んでそこへ入り、可動式の本棚を動かしてやっと手に取れる・・・「書庫」に、どんどん古い記憶がしまわれているようなイメージ。
普段、滅多なことでは思い出さないようにしまわれている記憶が増えているなぁ・・・と思うのです。
これが、長く生きた(といってもまだ36年)という証なのだろうか・・・
お祝いを貰って思い出す
また、こんなこともありました。
ある日突然、自宅に届く小包。
それは出産祝いでした。
「こんな高価なものを贈ってくれるなんて・・・」と感謝と恐縮がない交ぜになりながら、ふと思うのです。
「最近会っていなかったけれども、私とあの子ってこんな贈り物をする関係だったっけ?」
・・・そこから、ブワーッと、出てくるのです。
そういえば、大学生の時に一緒に京都と福岡に旅行に行ったし、大学卒業してからあの子はわりと早くに結婚して子ども産んだけど私からお祝い贈ったし、もっと遡れば小学生の時は毎日のようにお互いの家に行って一緒に遊んでいたなぁ・・・
一時期はすごく距離が近くて、色々な面で競いあって、よきライバルでもあり友人でもあった。
そんな風に、何かのタイミングでふと思い出すのです。
まるちゃんのお母さんの友情論
『ちびまる子ちゃん』にはいくつかの印象深いエピソードがあるのですが、その中の1つに、まるちゃんのお母さんが友情について語るシーンがあります。
細かいことは忘れてしまいましたが、「お母さんは友達いないの?」と小学生のまる子に聞かれたとき、こう答えるのです。
「学生時代には友達がいたけれども、今はそれぞれの生活があるからなかなか会えない、でも大事な友達よ」的なことを(あやふや)。
んで、たしか年賀状でのやりとりについても触れたような触れていないような(あいまい)。
私も気づけば、まるちゃんのお母さんポジションになっていたのだ。
学生時代の思い出は貴重品
時々、「学校で学ぶことなんて社会に出ても役に立たない、だから学校なんて不要だ」みたいなことを言い出す人が出てきます。
私は、学校教育の恩恵を受けまくったから今まで生きてこれたと思っているので、学校不要論には眉をしかめるのですが、今回、記憶をたどって色々と思い出しても、やっぱり思うのです。
学生時代の思い出って貴重だよなぁ、と。
良い記憶ばかりではないから、決して「宝物」というわけではないけれども、記憶の奥深くにしまってあるものが「ある」ってだけで、なんだか心強いなと思う。
今はほとんど会わない友達と、ある時期にぴったりとくっつくような距離感で遊んでいた記憶が。
昔の友人は大切にしたいな
きっと、私の友人もそんな感じで私の存在を思い出して、プレゼントを贈ってくれたのだと思う。
幸いにして今は会わなくても、LINEで連絡は取れるし、気軽に写真を送れるし、やろうと思えばビデオ通話だってできる。
口を開けば二言目には「面倒臭い」って言っちゃう私だけど、面倒臭がらず、ふと思い出した時には忘れる前に連絡するようにしたいな・・・と、改めて思ったのです。
思い出って賞味期限はないのかもしれないな。
まるで冷凍庫に入れておけば一生食べられるアイスのように・・・
こちらもどうぞ