こんにちは、ドクダミ淑子です。
日本初の女性総理大臣を目指して自民党総裁選挙に出馬を表明した高市早苗氏に対して、毎日新聞政治部の女性記者が、「女性の味方をしてくれないと困る」といった趣旨の発言をしていたという話を聞きました。
私は、それを聞いて、げんなりしました。
女性は女性のために働かなければいけない?
もう少し細かく書いていきましょう。
彼女はこう切り出しました。
高市さんがリーダーになって女性の味方になってくれるだろうか?
この言葉は、高市氏は選択的夫婦別姓反対派の急先鋒として知られているということから来ていました。
そして、「女性のためになる政策をとっていただきたい」と言ってこの方のコメントは終わりました。
なぜ、女性は女性のためになる政策を取らねばならぬのだ?
女性は、女性のために働かなければいけないのか?
男性は男性のために働き、女性は女性のために働く・・・
それって、「男女関係なく活躍できる社会へ」っていうのと、逆行しませんか?
女性しか女性のためになる政策はとらない?
たしかに、女性の政治家が少なく、要職につく女性も少ないから、女性が不利益を被るような政策もあるのかもしれません。
でも、「女性しか、女性のためになる政策をとらない」という考え方が、なんだかおかしいなと思うのです。
男性であっても、女性が助かると思うような政策をとることもできる。
ヘテロセクシャルであっても、性的マイノリティに向けた政策をとることもできる。
「女の世界のことは、女の中で完結させましょう」「女は女のために働きましょう」とさせることが、逆に「誰もが活躍できる社会を」から遠ざかっているような気がしてならないのです。
「女性」は一枚岩なのか?
こういう「女性の味方」なんて意見を聞くと毎回思うのは、「女性女性って言うけど、みんな同じ意見を持っているわけではないんだぞ」ということ。
「女性は、女性の味方をして、女性のためになる政策をとる」って、一体どういうことなのだろうか?と思う。
バリバリ働きたい女性もいるし、そこそこ働きたい女性もいるし、むしろ働きたくないけれども働かざるを得ない女性もいるし、働きたくなくて働かない女性も、働きたいのに働けない女性もいる。
それぞれの立場があり、意見があり、ライフスタイルがあり、将来設計がある・・・のに、ざっくり「女性のためになる」って、一体何なんだろうと思ってしまう。
それは別に女性に関わらず、男性だってそうでしょ?
誰もがみんな、サラリーマンとしての出世を目指して生きているわけではない。
女だから女の味方しなければいけないはうんざり
私は日頃、うんざりしているんですよ。
「女は女の味方をしなければいけない」も、「女の敵は女」も、「男同士の世界だから」も、「男脳・女脳」も。
私は女ですが、イカレた女(と私が見なしている人)の味方をするつもりはないし、あの人は女だからと無駄にライバル視して誰かに突っかかるつもりはない。
「女はこういう考え方をする」としたり顔で言われると、「お前に私の何がわかるんじゃい」と思う。
もしも、私がネカマで、本当は男だったらどうするんじゃい?
・・・話は少しそれましたが、とにかく「女だから、女の世界で完結して生きてください」と言われるのが、嫌ですね。
それが良いことでも、悪い事でも。
男でも女でも、私は自分が納得できる意見の人の味方をしたい
以前、男女も年齢もわからないアンケートをとって、自分自身の持つ「バイアス」に気づいたという話を書きました。
今読み直しても、同じ意見だな。
「男性だから」「女性だから」で言葉の捉え方を変えずに、フラットに受け止めたい。
どちらだから「味方」「敵」なんて考え方もしたくない。
こっちの方が、本来目指すべき「男女平等」じゃないの?って思うのです。
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