こんにちは、ドクダミ淑子です。
ある日、ブログの下書き画面を見て、こんなことに気づきました。
「2日以内に書けなかったことは、ずっと書けないままだな」と。
タイトルだけで終わってしまうブログの種
私がブログを書く時、よくやるのは「タイトルだけ書いて下書きフォルダに入れておく」というやり方です。
パッと思い付いた時に忘れないようにタイトルを書いておき(私はいいアイデアも書き留めておかないとすぐに忘れてしまう)、「さあ、ブログを書くぞ」という時にそこから本文を続けていくのです。
ただ、「この内容書きたい!下書きに入れておこう」と思ってタイトルを書いたのに、「書いても面白くなさそう」「前も同じようなこと書いた気がするから変化をつけたい」「なんかネガティブ発言だけで終わりそうだからもっといい流れを考えたいな」となり、自分の中で「本文を書くのは保留」になる場合もあるのです。
良いと思ってタイトルを書いたけど考え直して保留にしたものをまた読み返して、「うーん、やっぱり保留」が1日経ち、2日経ち・・・3日経っても「保留」のままだと、もうずっと書けない。
だから3日経ったら削除した方がいいな、と思いました。
思いを溜めておけない
私は良くも悪くも、(たぶん)書くスピードが早い方で、そのお陰もあって何とか毎日更新を続けられています。
そういえば、少し前に1500記事になりました。
子育てをしながらも毎日更新が出来るのは、思ったことをパッと頭の中で整理して、パッと書けるからなのです。
逆に、何か思ったことやひらめいたことを頭の中に留めて、溜めて、考えて、長期熟成させて、長い年月をかけて出していく・・・ということが、出来ない。
それは「今の状況では」なのか、「私のスキルでは」なのかは、わからないけれども。
だから、パッと書けないものは、もうこの先もずっと書けない、みたいな状態になるのでしょう。
ブロガーと作家の違い
頭の中で熟成できるかどうか。
それが、ブロガーと作家の違いなのではないかと思います。
厳密な「職業」ではなく、「ブロガー的な書き方」と「作家的な書き方」っていう意味で。
たとえば、今読んでいる『ONE PIECE』は、そのストーリーの組み立て方が「作家的」だと思うのです。
最初から最後まで、大きな構想から始まりそこから小さな物語を紡ぎ合わせて「1つの大きな物語」を作っていく・・・みたいな。
対して多くのギャグマンガは「ブロガー的」。
その時に描きたいネタを描き、それがいくつも重なることで、1冊の単行本になる。
アウトプットするまでのスパンが全然違うのです。
ブログ的な小説
こんなことを考えたのは、少し前にある方が紹介していた文章を読んだからかもしれません。
「ブログ的な小説」というnoteです。
彼は、ブログ的な小説がなぜ出てきて、なぜ支持されるのかについて、そして「ブログ的な小説」とは何か?についてこんな考察をしています。
できるだけ安易なかたちで「他者の経験」を仕入れ、「ダメなじぶんの承認」と「より良い人生の可能性」を欲する……人気ブログはこういう構造があるように感じる。
「ブログ的」とはこのような消費的な読書欲求とぼくは考えている。
そして作者にちかい登場人物の体験談を通して手軽に仕入れることできる「意味」を軸に据えた小説を「ブログ的な小説」だとしてみた。
「体験談的なエピソードに文学風の語彙や言い回しを加えることで小説に擬態している」
これを読んで、きっと今の私が小説を書いたら、こんな感じになるんだろうな・・・と思ったのです。
ブログの延長的な、その場しのぎで擬態していると言ってしまえるような、そんな小説に。
作家的な書き方に憧れるけれども
私は本を読むのが好きで、しっかり組み立てられた物語を読むと、尊敬の念と共に「自分もこういう物語が書けたらいいな」という憧れのような気持ちがわいてきます。
ただ、私の今の「モノを書くスタイル」だと、きっと長年温めて、練りに練ったものを書くというのは難しいと思う。
時間の取り方も、書く時のテンションの保ち方もそうだし、脳みその使い方も違うだろうから。
それはもう変えられないものなのか、努力でどうにでもなるものなのかはよくわからないけれども、いつか大きな物語を書けたら・・・なんてことを、時々考えるのです。
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