こんにちは、ドクダミ淑子です。
先日、DaiGoさんの差別的発言での炎上について、少し書きました。
その中で、どうしても解せないことがあります。
それは、「兄の炎上について、弟に謝罪を求める人たち」です。
本人ではなく、弟に謝罪を求める人たち
DaiGoさんは4人兄弟の一番上。
弟さんが3人いるのですが、その中で末っ子の松丸亮吾さんはTwitterで速攻謝罪、というか「兄の発言はアカン、論破する」と自分は彼の言っていることに賛同しないと意思表示をしました。
そんな中、他の兄弟にも「謝罪しろ」みたいなコンタクトがあったようなんですよね。
その方は「怒っている人は兄に直接仰って」「僕への誹謗中傷コメントはお門違い」「謝罪しろは意味わからん」とツイートしています。
うん、私も意味わからん。
だってさ・・・兄弟って連帯責任の必要なんてないと思うんですよね。
兄弟って同じ思考回路になるのか?
たしかに、育った環境は同じだから、考え方は似ているケースもあるかもしれない。
けれども、私が自分の兄弟と考え方が同じか?というと、全然違うと思うし、親とも一緒だと思わない(むしろ親と自分は考え方が明確に違うと思っている)。
どちらかというと私は、「同じお腹から出てきて、同じご飯を食べて育って、同じ空間で20年近く過ごして、こうまで違う人間になるのか・・・」と思うことが多い。
だからなぜ、「お前の兄が炎上発言したから、お前が謝罪しろ」となるのか、全然わからない。
他の人はもっと、「私と兄弟はなんでもかんでも同じだな」と思うのだろうか?
また、そういう連帯責任的な発言をしている人は仮に自分の兄弟がとんでもない発言をしたら、表に出てきて謝罪するのだろうか?
同じような理由で、犯罪を犯した人の兄弟が取り沙汰されるのも、私にはよくわからない。
いやいや、犯罪を犯した人の兄弟になんの責任があるのでしょうか?
「一緒の家で生まれ育って申し訳ない」なのだろうか?
いやいや、そんなのなんの責任もないでしょ・・・
「兄を損切り」も意味がわからない
また、松丸兄弟の件でもう一つ、解せないことがありました。
末っ子の亮吾さんが即座に兄の言葉への反対を表明した際に、「兄を損切り」と書いた人がいたんですね。
いやいや、「損切り」ってなんやねん!と思った。
もともと、兄の七光り的な形で、おんぶにだっこでやってきた人が、兄の不祥事で手のひら返ししたなら、そのふるまいは少し考えてしまうかもしれないけれども、彼はそういう形で活動していたわけではありません。
むしろ、兄の炎上や暴言を静観しつつ、時にはやんわりと苦言を呈していたと思うんですよね。
だから、「損切り」という言葉が良くわからない。
私だって、自分の兄弟がとんでもない思考回路になり、とんでもない暴言を吐いていたら、最初は注意すると思うけれども、いくら言っても聞かないなら、もう「知らん」ってなると思う。
「知らん」って言わないだけ、優しい人だと思うけどな・・・
叩きたい人を探している人とは関わりたくない
本人ではなく、その兄弟を探し出して、わざわざ「謝罪しろ」なんて言ってくる人は、一体何を考えているのだろう?と思います。
多分、「自分がその立場だったら」ということは全く考えていなくて、ただ己の基準で「叩いてもいい人」を探して叩くことだけを考えているのではないだろうか。
その「叩いてもいい人」というのは、「当事者の関係者」なら誰でもいい、みたいな。
時々、はあちゅうさん関連でも暴走して、色々なところに突撃している人を見かけるけれども、私はそれはおかしいなと思っている。
「家族なんだから連帯責任」なんてことはないのだ。
まぁ、「もっと家族として支えてあげればいいのに」と思うことはあるんだけれども、それだって限度があるよな、と思っている。
もしかしたら、自分と他人(家族含め)の境界線が曖昧になってしまっているのかもしれない。
叩きたい人を探してその関係者までを叩くだけ叩いて、また次の炎上に行き同じことを繰り返す・・・私はそんな人になったり、関わらないようにしたいなと思いながら、今日もネットの海を徘徊するのです。
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