こんにちは、ドクダミ淑子です。
アンパンマンを見ながらふと思いました。
「なぜこいつらは、ばいきんまんを駆除しにいこうという発想がないのだろうか?」と。
城を攻めればよくない?
ばいきんまんって、わざわざ「ここが俺様の棲家ですよ」と言わんばかりに、自分の顔をかたどった城があるんですよ。
いつも暗くて雷が鳴っていてなかなか陰気そうな場所ですけど、空を自由に飛べるアンパンマンや宇宙船版のアンパンマン号までサクッと作れる御一行が行けないということはないだろう。
ばいきん城を攻めて、城ごとドカーンと爆破させてしまえば、一件落着なのではないか?
悪いのは存在ではなく、行為
そんなことをしたら、アンパンマンが最終回を迎えてしまうのですが、もちろん、そんな展開はありません。
・・・というか、奴等はそんなことをするつもりもなさそう。
そう、アンパンマン達って、ばいきんまんの存在そのものに否定的なわけではなく、「いたずらをするばいきんまん」に対して、そのいたずらを止める為に動くんですよね。
思いっきり殴ってますけど。
ばいきんまんの「いたずら」って、たこ焼き屋台でみんながたこ焼き食べていたら、掃除機的なメカで全部のたこ焼き吸い取るような、わりとハードないたずらですけど。
なんにしても、悪いのはばいきんまんという「存在」ではなく、いたずらという「行為」なのです。
みんなに被害が及ぶ時にだけ、アンパンマンは動く。
ばいきんまんはパン工場でジャムおじさんの新作を試食する回があって、私は「バイ菌にパンを食べさせるのか!?」と思ったけど、ばいきんまんの存在自体を何にも否定していないからそんなことが出来るのだろう。
私だったら「コイツは嫌なやつだから」とパン工場を出禁にするけど、ジャムおじさんは心が広いよな。
メンタリスト炎上とばいきんまん
さてさて、なぜそんな話を書いたのかというと、最近メンタリストのDaiGo氏がホームレスや生活保護についての差別的な発言をし炎上したからです。
メンタリストDaiGo氏、ホームレスの人への差別発言で「炎上」 | 毎日新聞
DaiGo氏はホームレスの人について「自分にとって必要の無い命は僕にとって軽いんで。だからホームレスの命はどうでもいい。いない方が良くない? 邪魔だしさ。プラスになんないしさ、臭いしさ。治安悪くなるしさ。もともと人間は自分たちの群れにそぐわない、群れ全体の利益にそぐわない人間を処刑して生きている。犯罪者を殺すのだって同じ」と述べた。
また、生活保護受給者に対しては「生活保護の人に食わせる金があるんだったら猫を救ってほしい」「生活保護の人が生きてても僕は別に得しない。猫は生きてれば僕は癒やされる」などと語った。
自分達にとって必要ではないから、ばいきんまんを消せばいい・・・をそのまま人間に展開すると、彼のような意見になるのでしょう。
でも、たとえばいきんまんであってもその存在自体は悪ではないように、ホームレスの人だって、存在することを否定されることは間違っていると思うのです。
もちろん、ホームレスになった経緯を社会問題として捉える必要はありますが。
金の使い道に固執する人なんだろうな
DaiGo氏の発言をざっと見てみると、ホームレスや生活保護について「無知」というか単に「自分と違う立場に対する配慮に欠ける」人なんだろうなと思いました。
あとは、「お金に支配された人」。
普段から、お金に関する発言が散見されるし、弟に対しても「金にならないからラジオの仕事はやめた方がいい」と言って、「僕の行動原理はお金だけじゃない」と返されています。
件のホームレスや生活保護についての発言も、「俺の金(税金)を、こういう人には使わせたくない」という主旨で発言されたのではないかと思うからです。
きっと「俺の金は、俺を癒す猫に使ってほしい」って意味で発言したんだろうな。
ああ、「ばいきんまんは必要ないから駆除する」なんて、私も(人間に対してではないけど)同じようなことを考えてしまっていたな。
自己中からの脱却
自分の世界が、自分の周りの状況が、この世の全てだと思ってしまうのは、「交流」が減りつつある今の課題なのかもしれない。
なかなか人に会えず、ネットでは自分と同じような考え方の人が固まってくる。
そうやって、どんどん人は自己中心的な考え方に凝り固まってしまうのかもしれない。
自分がそんな気持ちになった時は、上野千鶴子さんの祝辞を思い出そう。
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