こんにちは、ドクダミ淑子です。
とても印象に残っている漢字の覚え方があります。
「借りたことは、昔のこと。貸したことは代が変わっても忘れない。」
「借りる」「貸す」というちょっと混同しやすい漢字を覚えやすくするための言葉ですね。
あと「捨てる」「拾う」も何かあった気がするけど、そっちは忘れました。
なぜ印象に残っているかというと、まさにその言葉通りだなと思ったからです。
借りた人は、自分が何かを借りたということを軽くとらえるんですよね。
だから、催促しても「そんなの、昔のことじゃないか」とか言って逃れようとする。
でも、貸した人にとってはそんな軽い話じゃないのです。
この、二者の認識の違いっていうのを、この覚え方を聞いたときに強く感じたのです。
そしてこれは、いじめた人と、いじめられた人にも当てはまると私は思っています。
いじめっ子は「過去の話」なんて覚えていない
最近、過去の言動を掘り起こされて問題になるという話が多く見受けられます。
「この指とめよう」の主催者が過去に誹謗中傷をしていたりアドバイザリーボードの方が童貞いじりをしていたとか、オリンピック・パラリンピックの音楽プロデューサーに抜擢された方が過去に障害者へのイジメを武勇伝的に雑誌インタビューで語っていたとか。
なぜ、そんな方々が過去のことがバレたら騒ぎになるようなポジションについてしまうのか?
・・・それは、過去の出来事なんて覚えていないからです。
覚えていないから、オファーが来たら「やったー嬉しい!」で引き受けてしまう。
覚えていないから、「掘り起こされるリスク」なんて想定していないし、想定していないから対策もできない。
いじめっ子は、いじめたことなんて忘れてしまう。
いじめられっ子は、その後の人生でいじめられたことを何度も何度も思い出すのに。
「ほんの20回」とは?
はあちゅうさんは、過去の「童貞いじり」について、こう陳述(珍述)しているそうです。
ほんの20回程度、しかも私が会社を退社してフリーランスになる前後の平成26年頃という随分前に童貞という概念について言及した程度の出来事です。確かに、私は、童貞という概念に対して、嘲笑とも受け取られるような言及をしてしまっているかもしれません。
まさにこういった認識なんですよね。
言った側は、「ほんの20回程度」「ずいぶん昔のことじゃない」「この程度の(軽い)ことでしょ」といった認識なのです。
「お前は嘲笑されても仕方がないんだ(だって童貞だから)」という文脈で、「20回も」何かを言われたら、言われた側の心理的ダメージは相当なものでしょう。
でも、本人にとっては「ほんの20回」なのです。
これも、言った側と言われた側の受け止め方の差がすごくよく出ていると思う。
そういう風潮があった、みんなやっていた?
はあちゅうさんは、たしか陳述書の中で、「当時はそういう風潮があった」みたいなことを書いています。
この指とめようの人も、そういった文脈で擁護されている声も見かけました。
オリパラの音楽プロデューサーの方についても、「当時のQJは」みたいなことを言っている人もいましたね。
この、「私だけじゃないもん!みんなやっていたもん!」みたいなの、私は「じゃあ今の謝罪もみんなやっているから謝罪するんかい?」とツッコミたくなっちゃう。
実際、テンプレみたいな謝罪文ばかりだから、きっとそうなんだろうな。
もちろん、「みんなやっていたから」というのは、「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」っていうだけで、アウトだからね。
「あなたの将来を考えて」で止まるのか?
この、「過去の行いに自分の足元をすくわれる」という問題に、こんな意見もあります。
「将来こうやって大変な目に合うということは、いじめっ子にとって抑止力になるのではないか?」
・・・残念ですが、私はこれは「無い」と思います。
そもそも、「将来の自分のことを考えて」なんて考えている人は、いじめなんかしません。
そんなこと、想像もしていないから、「今」の快楽だけを考えているから、いじめなんて馬鹿げたことをするわけで。
そして何も考えていないまま暴力をふるい、そのことをすっかり忘れて生活して、数年、数十年後にしっぺ返しを食らうのです。
さらに「そんな昔のことを引っ張り出すなんて・・・」とか言い訳するんでしょ?
もう、そういう人は、何年後でも仕返しされればいいのだ。
された人の苦しみは何年たっても忘れられないし、心に深い傷を残しているかもしれない。
だからこそ、一番ダメージのある、一番良いタイミングで、「そんな昔のことでしょ?」と笑ってごまかせない状況で、言ってしまえばいいのだ。
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