ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

「家族ごっこ」があるから家族は楽しいんじゃないか

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

家族ってなんだろう?・・・と、ここのところずっと考えています。

 

きっかけは、はあちゅうさん。

 

はあちゅうさんは、「旦那を(家事の)戦力に入れない」「旦那は家にいない、帰ってこない」「夜から朝までは旦那の部屋には入らないルール」などと発言をされています。

それに対して、「手伝ってくれないなんてひどい」「小さな子供がいるのに帰ってこないんですか?」なんてコメントがついているんですね。

はあちゅうさんの家庭と、一般的な日本人が思い描く「家族」像ってきっと違うんだろうなと思うと、私の中から「じゃあ」が出てくるのです。

 

じゃあ、家族って、何なのだろうか?

 

 

家族ごっこは、いらない?

はあちゅうさんは、事実婚したばかりのときに、インタビューを受けています。

 

https://www.businessinsider.jp/post-179658

 

結婚式、結婚指輪、親戚付き合いはナシ。互いの収入は知らず、お財布も別々で生活費は折半。浮気のルールについては「考えることをやめた」そうで……?

そしてどちらかの戸籍に入るような「家と家」の関係性ではなく、「対等な個人として」の結びつきの方が自分たちには「しっくりくる」と考えて事実婚を選んだのだという。

 

言いたいことはわかる。

対等な個人同士として、対等な関係を築くための事実婚。

でも、大半の人がする「法律婚」とやらを、「家族ごっこ」というのはいかがなものか?と首をかしげてしまう。

 

結婚式や結婚指輪を「家族ごっこ」と言うならば、新婚旅行をはじめとする家族旅行も、お互いの誕生日や記念日を祝うのも、季節の行事やイベントも、家族会議を開催するのも、家族ごっこになるだろう。

親戚付き合いを「家族ごっこ」と言うならば、お互いの実家に帰ることも、子供が産まれてから双方の親(祖父母)が集まって子供の成長を祝う行事をすることも、夏休みにイトコの子供同士で遊んだりすることも、全部家族ごっこだ。

財布を一緒にすることが「家族ごっこ」なら、どちらかが主婦(主夫)となって家事を引き受け、もう片方が家族分のお金を稼ぐことも、彼女にとっては家族ごっこになるだろう。

 

そうやって、「家族ごっこ」を削ぎ落としていくと、一体何が残るのだろうか?

・・・籍だけ一緒になっている人じゃないか。

はあちゅうさんの場合は事実婚だから、ただの「同居人」、同じ空気を吸っているだけの人。

 

 

家族ごっこがあってこそ、家族だと思うのだ

たしかにそれだと、家族ごっこなんてする必要がない。

本人同士が気が向いた時に、一緒にいればいいだけなんだもの。

気が向かなければ、自分の部屋に引きこもっていればいい。

 

逆に言うと、家族って、本人同士が気が向かなくても、一緒にいる存在なんだと思う。

悲しいときも、怒り狂っているときも、病めるときも・・・だから苦しいこともある。

 

簡単に離婚に踏み切れないのも、「どこまでが家族として許容すべきしんどさなのか?」が判断しかねるからなのではないか?と思う。

 

私は、家族ごっこが楽しい。

子どものハーフバースデーに何をしようかと相談したり、寝返りが出来た/出来ないで一喜一憂したり、家族写真を撮りに行ったり、ビデオ通話で私達の父母のニヤニヤ顔を見たり、ふと思い出して結婚指輪をじっと見つめたり、家計の財布から夫のおやつを買ったり、同じくらいの金額ならいいよねと自分のおやつを買ったりすること・・・全部「家族ごっこ」と言えてしまうかもしれないけど、その家族ごっこが楽しい。

 

 

家族ごっこをしない代償

はあちゅうさんはきっと、多くの夫婦がやるような、旦那さんと家事を分担するとか、子育てを分担するとか、子供の小さな成長について報告したり、ちょっとした相談をしたりすることを、全部諦めたんだろうなと思う。

それは結婚前からなのか、結婚後からなのかはわからないけれども。

子供が産まれて育てている今はきっと、ほぼシングルマザーみたいな感じなんだろうな。

 

だからと言って、大半の人が家族としてやっていることを「家族ごっこ」と言うのはいかがなものかと思うけど。

 

その代償だって、きっとわかっているのだろう。

・・・だから、些細なことを「アイデンティティの根幹」とか言って、訴訟なんて起こさないでほしいものです。

 

 

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