こんにちは、ドクダミ淑子です。
新型コロナウイルス関連でネットを徘徊していると、「コロナは風邪だからノーマスク」とか、「ワクチンはDNAを操作し5Gに接続する」みたいな話が出てきます。
え?人間がスマホになるの?
・・・そしたら念じるだけでブログが書けるかな?そうだったら嬉しいんだけど。
なぜ、そんなトンデモな話に引っ掛かってしまうのだろうか?
今回は、そんなことをあれこれと考えていこうと思います。
不安を煽られたい人と不安を煽るメディア
まず、日中やっている情報番組ですね。
あれ、本当によくないと思う。
毎日見ていると、「なんだかよくわからないけれども、日本はなんだかダメっぽいし、なんだか不安だし、なんだかヤバい気がする」って気分になる。
視聴者を「なんだか不安・・・だから毎日見なきゃ」って気分にさせて、毎日見させることを狙っているとしか思えないような構成なんだよな。
でも、見ていて不安が晴れることはなく、逆に不安な気持ちは強まってくる。
そんな不安を増幅された人の中で、一定数がトンデモワールドへ行ってしまう気がするのです。
「私は損をしているかもしれない」から始まる
トンデモな話の入口って、誰もが思うような些細なことから始まるのではないでしょうか?
それは、「私は損をしているかもしれない」という気持ち。
政府が都合の悪いことを隠しているとか、医師が自分達の利益のために患者に無駄な治療や無駄な投薬をしているとか、ある集団が不老長寿の薬を独占しているとか、メーカーが自社の利益のために有害物質を入れているとか・・・とにかく、「ある集団が私達には都合の悪いことを隠していて、知らないことで自分が不利益を被っているのではないか?」と疑うところから、トンデモな門は開かれるのです。
入口が「あいつらは都合の悪いことは隠す集団」なので、どんなに「違います」「そんなことしていません」と否定しても、疑いは晴れません。
「いやいや、そんなこと言っても、隠しているんでしょ?言えないだけでしょ?」となってしまう。
だから、誰が何と言おうとも聞く耳持たずになってしまうのだろう。
有名大学を出て有名企業で働いていた私の父も、なぜか変なチェーンメール流し始めたりしたからな。
「私だけは大丈夫」「私は正しい判断ができる」という謎の自信
そして次。
人間ってなかなか「もしかしたら自分は間違っているかもしれない」って思いにくい生き物のようです。
私の周りでも、なぜか「自分だけはコロナに罹るはずはない」って自信マンマンな人たちがいるんですよ。
ノーマスク派ではないけれども、「マスクをしているし、手洗いうがいをしているから大丈夫」みたいな感じで、子どもに会いに来たがる人たちが。
だから、さっきまでの話と合体すると、「不安になっている中で、日本人の大半が都合の悪いことに気づかず損をしている中、私は正しい判断でトンデモ説を見つけ、それを信じているのだ」みたいな感じになる。
同士と同調圧力
さらに、そのトンデモ説を唱えている中で、100人中100人が「んなわけねーだろ!」で終わればいいのですが、たまに100人中5人くらいが「その通りだ!素晴らしい!」と言う人が出てきてしまうと、さらにドツボにはまってしまいます。
一人で言っているだけだと、「もしかしたら違うかもしれない」という気持ちは残っているのに、ほかの一人だけでも「その通り!」と言うと、一気に「私は間違っていない!」となってしまうのです、きっと。
そして、ネットの世界ではそういう繋がりって、結構簡単にできてしまう。
「100人中95人が知らないことを、我々は知っている」
「さすが、目の付け所が違う」
「我々は選ばれた人間だ」
「世の中は間違っている、真実を広めよう」
・・・こういうのでノーマスク派とか、ノーワクチン派とかが生まれるのではないでしょうか?
「理不尽だ」「損をしている」の思い込みで、罹りやすくなる
だから、普段から「私は理不尽な目にあっている」「私は損をしている」など、「私はかわいそうだ」と思い込むクセをつけないようにした方が良いと私は思うのです。
「損をしたくない」が高まりすぎると、変な方向に走ってしまう気がする。
なぜ私は正しいことをしているのに損をしているのか?→政府の陰謀だ、みたいに、「私は悪くない、何か他の見えない大きい力が働いているのだ」なんて考えだしたらキリがないじゃないか。
新型コロナウイルスのあれこれで、誰もが不安を掻き立てられる中。
収入が減ったりして実際に「損」をしている人が出てきている中。
こういう時代だからこそ、変な方向に突き進むことなく、正しい知識で正しい予防をしていきたいものです。
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