こんにちは、ドクダミ淑子です。
はあちゅうさんが、自身への「誹謗中傷」を訴えている裁判の、内容を読みました。
こちらのブログです。
証券非行被害者救済ボランティアのブログ : 220114はあちゅうNTTコミュ高裁判決 - livedoor Blog(ブログ)
たしかに、容姿に対しての言及は誹謗中傷になるのかなと思いながらも、「カブトガニの裏側みたいな顔」「目がコオロギみたい」って面白い表現だなと思ってしまう自分もいたりする。
「イキっているくせにいざって時にダサい」「都合悪いと論点ずらしたり嘘ついたり途中で話遮ったり」「都合悪いことは黙って消す」っていうのは、ウォッチャーをしていると思い当たるフシがある。
「タクシー代金踏み倒したりする」「妊活詐欺」については、たとえ事実と異なるとしても本人の発言から多くの人がそう思っただろう。
以上は私の単なる感想ですが、今後個人情報が開示されるかどうかの判決と、仮に開示された場合の訴訟の判決でどうなるかはちゃんと見ていきたいと思います。
さて、この話を読んでいて、思ったことが2つあります。
1つ目は、はあちゅうさんは、相当嫌われているんだなということ。
今回は、NTTコミュニケーションと契約をしている人の書き込み内容でしたが、それだけでも、些細なことからちょっとひどいこと(と私が思う内容)まで、28件の訴えがありました。
はあちゅうさんはブログで、2020年8月時点で「105件の書き込みが違法認定されました(※仮処分が決定しただけ)」と書いているので、少なくともこの程度の訴えが合計100件以上あるわけです。
それ、明るみに出すのって結構本人のイメージダウンにならない?
訴訟を起こすと内容は誰でも閲覧できるようになるから、本人が「私、こんなに嫌われてます!」「私、邪悪の化身って言われています!」って大公開しているわけで。
そしてもう1つは、普通の人間は嫌われるということに耐えられるようには出来ていないということです。
今回はこちらのお話を。
嫌われ者で売ってきた人なのに
はあちゅうさんは、元々「私は炎上させることで注目されてきました」という発言をしてきているんですね。
たとえば、2016年8月に掲載されたこちら。
炎上系女子と非炎上系女子の焼肉会 | AdverTimes(アドタイ) by 宣伝会議
炎上しやすいフレーズだと自覚がある時も、誰かの心に着火するだけの、強い言葉を意図的に使います。そうすると、数年後でも覚えていてもらえるので、爪跡を残したぜ、みたいになるんです。
しおたんさんとさえりさんは、取材して誰かを紹介したりする記事を書くことが多いけど、私はエッセイだし、炎上しても自分が傷つけばいいだけだから大丈夫なんですよ。
Twitterでブログの記事アップする時って、みんな記事読んでなくてタイトルしか見ないから、タイトルひとつで炎上させようと思ったら炎上させられます。私、たとえ中身がさえりさんの記事でもタイトル変えて炎上させられる自信があります。
約5年前の彼女は、「私はあえて炎上させています」「炎上しても大丈夫です」という趣旨の発言をしています。
2017年のこちらでも、わざと炎上させているという趣旨の発言をしていますね。
はあちゅう 炎上は時代のツボを突いているから燃える:日経xwoman
誰も傷つけない当たり障りのない言葉を見つけるのは簡単ですが、そんな発言をしたところで誰の記憶にも残りません。であれば炎上しようとも、誰かの記憶に3年先まで刻まれるくらい、インパクトある言葉を使いたいんです。
私のことを嫌いと言っている人のほとんどに、私はリアルには会わないと思うし、メディアに出なくなった瞬間、人は簡単に、その人のことを忘れると思います。だから、私も、私自体は、そのうち忘れ去られると思うのですが、何の関係もない人にも、せめて、言葉で一撃くらわせられたらいいな、と思って。
「炎上」ということを本人がどのように考えているのかはわかりませんが、私はネット上の「炎上」は、他人の神経を悪い意味で刺激するから炎上するのだと思います。
「嫌悪感」「違和感」「自分の嫌な記憶を呼び覚ます」などなど。
「共感」「好感」では炎上することはないし、それは「バズる」と言うし。
果たして彼女は、「炎上」というものの負の側面を理解していたのだろうか?
「嫌われる勇気」なんて大抵の人には耐えられるものではないのだ
人の「負」の意識を集めて注目される、炎上。
どんなことであっても、注目されるから、「注目されたい」「名が売れたい」と言う人はついつい手を出してしまいがちです。
でも、その炎は、大抵の人の手には負えないのです。
はあちゅうさんのママ友らしい、小林礼奈さんも炎上商法と言われていました。
私の場合は「これブログに書いたら叩かれるだろうけど、私の人生だし!炎上するならしろ」と思って。
この後に、「好感度を気にしなさ過ぎもよくない」と書いていますが。
今、その彼女が炎上しまくってどうなっているかというと、こんなブログを書いているのです。
何が理由でメンタルクリニックで診療とテストをしたのかはわかりませんが、やっぱり、人間ってそんなに炎上に耐えられる設計になっていないのだと思います。
はあちゅうさん本人だって、「炎上上等」な発言から4年くらい経ったらどうでしょうか?
「邪悪の化身って言われました!誹謗中傷です!!」ってなっているんですよ。
少し前に「嫌われる勇気」という本と、それに関連した言葉が話題になりました。
「好かれようと努力するよりも、たとえ嫌われてもいいと自分の意志で動いた方がいい」という趣旨で、他人に迎合することなく生きよう・・・みたいなことが言われていましたが、実際に嫌われて炎上している人を見ると、思うのです。
「嫌われる勇気」なんて大抵の人には耐えられるものではないのだ、と。
好かれるように自分の意思を曲げる必要はないけれども、あえて嫌われに行く、嫌われ者になる必要なんてない。
嫌われることが出来て、なおかつ長期間嫌われる状態で居続けることが出来る人は、ほとんどいない。
若さゆえの「怖いものなんてないから、嫌われてやる」は、大人になったら考えが180°変わるかもしれない。
だから、簡単に「嫌われてもいい」「むしろ嫌われてやる!」なんて言わない方がいいと思うのです。
こちらもどうぞ