こんにちは、ドクダミ淑子です。
私は、読書が好きです。
「読書家」なんて恥ずかしくて言えないレベルだし、買った本は本棚の小ささもあって読み終わったらメルカリに出してしまうことが多いんだけれども、読書が好き。
産前はここぞとばかりに本を読み漁り、めちゃくちゃ長かった産院の待ち時間にも本を読みまくっていましたが、産後は読むペースが落ちました、さすがに。
ペースが落ちた理由その1は、時間の確保。
子どもが寝ている時が読書タイムですが、子どもが泣いたらもちろんそこで中断だし、子どもが寝ている間に本を読むか、それとも自分も寝るか、ご飯を食べるか・・・みたいな選択肢があり、どれかを選べばその時間帯は残りを捨てなければいけない。
そして、食事と睡眠は何より大事だから、読書は両方が満たされてからになる・・・っていうと、ほぼない。
その2は、集中力。
長く、集中して本を読んでいられない。
寝る前の読書も、突然手の力がふっと抜けて本を落とすくらい疲れている時もありました。
読んでいる中で、半分夢の中に突入して、全然違うストーリーを自分で作っていて、訳の分からない展開になっていることもありました。
今書いていて思いましたが、そこまでして本を読みたいっていうのも、なかなかですよね。
さて、前置きが長くなりましたが、そんな時期から少しずつ読んでいて、最近読み終わったこちらの本をご紹介します。
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どんな本なの?
公式サイトによると、こんな内容です。
パリの蚤の市で宝物探しに奔走し、モロッコでは夕日を見ながら屋台で舌鼓。旅先でお気に入りのカフェを見つけては、本を読んだり、手紙を書いたり、あの人のことを思ったり。年末に帰ってきた自宅ではおせちカレンダーを作り、新しい年を迎える準備を整える。ふとすると忘れがちな、当たり前のことを丁寧にする幸せを綴った大人気日記エッセイ。
だいたい1話2~3ページくらいで、優しい文体で読みやすい。
それでいて、読んでいると、作者の目になったように情景が浮かんでくるのです。
ドイツもフランスもモロッコも、行ったことはないのに。
「ほっこり」という言葉は使いたくないけれども
「エモい」とか「ほっこり」とか「萌え」とか、ニュアンスが人によって分かれる言葉はあまり使いたくないと思っています。
でも、この本は「ほっこり」って言葉がピッタリ合うなぁ・・・と思いました。
小学生のお友達がいて、彼女と遊ぶのを楽しみにしていて、彼女との可愛い会話をつづっている日記。
旅は「ペンギン」と一緒に行っていて、初見の私は「誰?」と思ったけれども、ペンギンとの会話や描写を見ていると、「ああ、大事な人なんだな」と言うことは伝わってくる(後で調べたら、旦那さんだそうです)。
大好きな人と、まだ知らない場所へ行き、暮らすように旅をする。
そして、そこで感じたことを、彼女の感性というエッセンスを加え、その場の空気を含めながらヘラでさっくり混ぜて文章にする。
そうやってできた1冊の本を読むと・・・いやぁもう、これは「ほっこり」でしょう。
丁寧な暮らしって、こういうこと
「丁寧な暮らし」っていう言葉があるじゃないですか。
キラキラしたインスタグラマーやブロガーを見ながら、憧れの視線を注ぐものであり、大雑把な人間からすると「そんなの無理」という諦めの対象であり・・・どちらにしてもなかなかハードルが高いものですよね。
小川糸さんのエッセイは初めて読んだので、彼女がどういう暮らしをしているのかはわかりませんが、でも断言できる。
「これこそ、丁寧な暮らしだ」と。
たとえばパンやジャムを手作りするとか、味噌や納豆を手作りするとか、糠床を持っているとか、そういう話ではないんですよ。
日々、見たもの聞いたもの感じるものを、考えて、自分の中で咀嚼して、言葉にして、そして体に取り込んでいるのです。
野菜の皮まで利用しつくすかのように、1つ1つの経験を、無駄にしないで自分の心の栄養にしていっている。
だからこそ、1つ1つの言うなれば「ただの日記」がキラキラとしていて、そして読む人の心まで温めるくらいの力があるのです。
たそがれビールの意味
私が一番好きなのは、タイトルにもなっている「たそがれビール」という一節でした。
あるシチュエーションで、黄昏時に、人々がビールを飲んでいる様子を眺める話。
これも異国の話で、行ったことがないのに情景が頭に浮かぶ・・・
こういうエッセイも、心の栄養補給として、時々読みたいなぁと思ったのでした。
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