こんにちは、ドクダミ淑子です。
最近、こちらの本を読み終えました。
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今回は、こちらの本の感想を。
どんな内容なの?
公式サイトによると、こんな内容です。
登美彦氏はかくもぐるぐるし続けてきた! 影響を受けた本・映画から、京都や奈良のお気に入りスポット、まさかの富士登山体験談、小説の創作裏話まで、大ボリュームの全90篇。台湾の雑誌で連載された「空転小説家」や、門外不出(!?)の秘蔵日記を公開した特別書下ろしも収録。寝る前のお供にも最適な、ファン必携の一冊。
『太陽の塔』『夜は短し歩けよ乙女』『ペンギン・ハイウェイ』『四畳半神話体系』などで有名な、森見登美彦氏のエッセイです。
なかなか読み進まなかった
実はこちらの本、以前のエッセイ読みブームの時に買ったものなのです。
朝井リョウさんのエッセイを読んでいたのが、今年の6-7月。
そこから4ヶ月近く、読めていなかったんですね。
なぜか?
これは私の感覚ですが、「読みづらかった」のです。
なぜ読みづらかったのか?
先ほどの案内に書いてあったように、「思考がぐるぐる」していたからです。
とことん内省的な文章なのだ
私が森見登美彦さんの小説を読んだのは10年以上前。
なので、あまり覚えていなかったのですが、そう、彼の書く文章はとことん、「ややこしい」のです。
物語の舞台は大体京都なのですが、だからと言って京都の風情が出ているというわけではなく、結局物語の中心になるのは、「四畳半」「机上」の世界、つまり主人公の頭の中の、妄想の世界なのです。
エッセイでもそういう彼の特徴はふんだんに生かされており、結果として、「エッセイなのにサクサク読めないじゃないか・・・」という感触になったのです。
というわけで、読み終わるまでに少々時間がかかりました。
「なぜ書くのか?」を考える小説家
私は、どちらかというと、このブログはとてもとても軽い気持ちで書いているので、「なぜ私はブログを書くのであろうか?」みたいなことを考えたりはしないんですね。
日記を書くように、誰かと会ってしゃべるように、ただ自分の思うことをダラダラと書く。
だから、「なぜ書くのか?」なんて「書きたいから書くんだよ」みたいな感じに思っている。
「なぜ酒を飲むのかだって?そりゃ、美味しいし、飲みたいからだよ。それ以上の理由なんて、ないぜ」で納得してしまう。
ある意味単純なのだろう。
ちなみに超・余談だけど、普段の私はめちゃくちゃお喋りで、気の許した友人となら、5,6時間くらいは余裕で喋り続けられるタイプ。
しかしですね、世の中にはそういう書き方をしない人たちもいるのです。
「どうして自分は小説を書くのか?」「どうして自分はブログを書くのか?」・・・そんな答えのあるようで、無いようなことを考えながら、文章と対峙し、問い続ける人たち。
それはまるで、生きながら「なぜ人は生きるのか?」と考える学問、つまり哲学をする人と同じような人たちなのです。
森見さんもまさにこちらの哲学者タイプ。
だから、あまりにも自分と違い過ぎて、その違いを受け入れながら読むのにちょっと苦労しました。
スランプであると言語化する強さ
私のような、思考たれ流し人間と違って、自分と向き合い、向き合いながら自分を分析し、自分にツッコミを入れ、自分を鼓舞する・・・そんな登美彦氏らしさがよく見えたのが、後半の台湾での連載「空転小説家」でした。
第一話から、彼は自分がスランプに陥っていることを告白するんですね。
どうしてスランプになっているのか?
デビューしてから、立て続けに小説を書き続け、結果スランプになってしまったということを、逃げず隠さず、淡々と書いているのです。
東京から奈良に戻り、少しずつ書けるようになってきたのを連載が進むたびに感じるのですが、その途中にも、少年時代の話や、小説の書き方や、自分の考え方などをとにかく考えて・考えて・考えているのです。
こちらの「空転小説家」は一番最後、第7章だったのですが、私はこれが一番面白いと感じました。
なんだろう?
自分と違う人がどういうことを考えて、文章を書いているのか・・・ということがよくわかったからだろうか。
彼の小説を読んだと先ほど書いたけど、内容はもうあやふや。
これを機に読み直してみるのもいいかもしれない、と思いました。
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