こんにちは、ドクダミ淑子です。
少し前にこんな一連のツイートを見かけました。
- 実家の隣には同い年の女の子が住んでた
- 実家に行ったらたまたま隣のお母さんと遭遇して「結婚で川口に引っ越した」と言われた
- 六本木で一人暮らしとどっちが"上"なんだろうと考えてしまった
- 川口に動揺しリアクションできなかったが、今思えば「おめでとうございます」って言うべきところと思った
- その時点で私は六本木の2LDKで悠々自適に暮らしてる自分のことも十分おめでたいと思ってる
その人のプロフィールは、こんな感じ。
- 女子御三家
- 東大法学部ストレートで卒業
- 外資系企業へ就職
- 六本木の家賃30万超えの2LDK分譲マンション
- ペット2匹
- 一人暮らし
あああわかるよ・・・高学歴女子ィ!!!
引き合いを出した瞬間に、見られ方が変わる
言いたいことはすごくよく分かるんですけれどもね、やっぱりこいうい言い方ってダメだと思うんです。
なぜなら、他人と比べて自分をおめでたい/おめでたくないとか、自分と他人のどちらが上か下かと考えてしまっているから。
この話は、仮に「私は有名大学を出て都会で頑張っているんだ」という話だけだったら、私もすごく共感したと思います。
頑張ってるね!って思って、いいねを押したと思う。
でも「都会で一人暮らししている自分」の引き合いとして、「結婚して埼玉に行く同郷の子」という比較対象を出してしまうのがダメなんですよ。
「私はおめでたい」という絶対評価ではなく、「誰かと比べても私だっておめでたい」という相対評価にしてしまうから、AさんとBさんを比べてどうか?という議論になってしまうのです。
人と比べないって難しいけど
人と比べないって、すごく難しいと思うんですよ。
どうしても、比べた方が違いが分かりやすいし、特徴も見えやすくなるし。
でも、比べてしまった瞬間、その意見には賛成/反対が出てきます。
例えば、「私はカレーが好き」と言うんだったら、「そうだよね」「おいしいよね」という意見がたくさん集まるでしょう。
でも、「私はハヤシライスよりもカレーライスの方が好き」だと言った瞬間、ハヤシ派の人達が出てくるのです。
「ハヤシライスだって美味しいじゃないか」「いやいや、どう考えたってカレーの方が美味しいだろう」
・・・別に、好きな食べ物だったらそれで議論交わしてもいいかもしれませんね。
でも、人の生き方となると、そこで議論が生まれるっていうのはすごく不毛なことだと思うんです。
だってどっちが良い生き方で、どっちが悪い生き方という問題ではないのだから。
もしかしたら、このツイ主さんは、埼玉に引っ越す娘を自慢されたのを見て、自分の人生を否定されたような気分になったのかもしれません。
仮にその友達のお母さんに、そういうつもりがなくても。
でも、そもそも近況報告(結婚&引っ越し)をされただけで上とか下とか考えてしまうこと自体が悲しいことだと思うんです。
「よそはよそ、うちはうち」と思えてないってことだから。
私が他人と自分を比べない理由
もういい年齢になったからかもしれませんが、私はあまりこの「人と比べて自分の上下をアピールする」というのはやらないんですよね。
まぁそういう、ヒエラルキーのある世界や競争社会で生きていないからかもしれないけれども。
根底に、「他人と比べて自分がどうのこうのって言っても仕方ない」って思っている。
生き方なんて、人それぞれだし。
自分の隣に幸福な人がいようと、不幸な人がいようと、その影響で私は幸せになったり不幸になったりしないと思っている。
隣に幸せな人がいるからといって、私がその分不幸になっているとも、全く思わない。
「幸福な人が隣にいたら私も幸せな気分になる!」という性格だったら、ハッピーかもしれないけれども、正直なところ、別に関係なくない?
逆に不機嫌な人が隣にいても、私はあまり気にしないですね。
夫だけは別だけど。
人と比べそうなときは、自分に目を向けてみるべし
どちらかというと、高学歴の人の方が、そして女子の方が、こういう風に人と比べてどうのこうの・・・ってやりがちなんですよね。
受験・就職・・・諸々で努力して、得点だのランキングだの合格可能性だのを上げてきた人生があるから。
色々な場で、男と比べられて悔しい思いをしたことがあるから。
そして、勉強って結構「かけた時間(≒努力)」で何とかなるところがあるから、そういう悔しさとか差とかを「努力」で埋めてきちゃったから。
でもね・・・もう学校を出たら、そういう「相対評価」の世界からは抜け出した方が良いと思うんだよね。
だって、キリがないんだもの。
だいぶ話がそれましたが、冒頭のツイ主さんが、ペットに囲まれて、川口に嫁いだ女子のことなんてすっかり忘れて、ご自身の幸せを噛みしめていることを願っています。
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