こんにちは、ドクダミ淑子です。
読書がはかどる今日このごろ。
今日は、こんなタイトルの小説を読みました。
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きっかけはやっぱり、目につくこの単語
私はこと小説においては、普段は誰かに薦められたもの以外だと、同じ作家さんのものを読み続けるタイプです。
その中で、平山瑞穂さんは、今まで一度も触れたことのない作家さんでした。
ではなぜ今回は買ったのか?というと、その理由はやっぱり・・・タイトルについた「ドクダミ」という言葉ですね。
かれこれ6年近く、ドクダミ淑子なんて変な名前を名乗っていますからね。
これを書店で平置きされていたのを見てしまったら・・・とりあえず運命感じちゃいますよね。
どんなストーリーなの?
公式サイトによると、あらすじはこんな内容。
三津谷咲良、結婚4年目の34歳。成功しない不妊治療に焦燥を感じ、大学講師の夫とは微妙な関係に。
徳永多実、咲良の小学生時代の親友。恵まれた家庭に育った優等生の咲良と異なり、高校を1年で中退、パートで働くシングルマザー。
二人が19年ぶりに再会し、止まっていた刻(とき)が再び動き始めたら――生まれも育ちも、そして住む世界も違う二人の女性の友情と葛藤と再生を描く、感動の文庫書下ろし。
タイトルにある、ドクダミ(徳永多美)と桜(咲良)というのはこの「住む世界」の違う2人の主人公のことを表しています。
リアルな描写が、リアルすぎて
私、読んでいて途中で、ふと思ったことがあって、著者近影を見直したんですよ。
そしたら、フツーのオッサン(失礼)が写っていたんですよ。
一旦目をこすってからもう一度見たんですけれども、やっぱりオッサンだったんですよ。
・・・というのは、このドクダミと桜は1人称の小説で、女性の主人公2人がかわるがわる語るのですが、まぁよく出来ているんです。
「ああ、女子の世界では、こういう子いるよね!」と思うシーン(小学生時代の仲間外れの話)とか、母親と娘との会話で年頃の娘がどう思ったとか、子どもがいない自分が他人の子とどうやって接していいかわからなくて戸惑ったりとか・・・なんだろう、リアルを感じ過ぎて、それが異性の作家さんから出てくるっていうのがすごいなって思ったんです。
ちょっとした会話でも、言った人がどういう気持ちで、聞いた相手がどういう風に受け止めて・・・という、微妙なすれ違いも、ものすごく丁寧に描かれているんです。
俳優さんで「憑依する」みたいな表現あるじゃないですか?
それときっと同じ状態になっているんだろうなって思うんです。
そのくらい、細かい描写がきちんとしているし、2人の女性の性格・考え方というのがきっちり描かれていて・・・驚きました。
住む世界って嫌な言葉だけど、実際あるんだろうな
公立の中学校って、そこに住んでいるという理由でみんな通うんですよね。
だから、家庭環境も、教育方針も、バラバラ。
小中学校やそれ以下なんかは特に「近所」というだけで仲良くなる(親同士に仲良くさせられる)けれども、大人になるにつれて、「差」が出てくる。
恋愛(性も含む)への感覚、金銭感覚、進学への意欲などなど。
ドクダミと桜は、そういう意味で大きく「差」がある2人なんだけれども、小さい頃は「気が合う」という理由で仲良くしていたんですよね。
ただ、大人になるにつれて、距離が出来てしまう。
私も、なんとなくこの感覚は、わかる。
たまに「住む世界が違うから」とか、「私は違うステージに行ったから」とかで、「あの人とは付き合えない」って言葉を見て、私はちょっと嫌な気分になるんです。
そういう風に、線引きするのってどうなの?って思うから。
でも、ドクダミと桜を読んで、その感覚も嘘ではないんだなと思った。
いくら平等と言っても、資本主義社会に生きる私たちの世界には、見えない線が引かれていて、見えない壁があって、見えないステージがあるんだろう・・・と。
世界は交わるのだ
だからと言って、「違う世界の人とは合わないんだから、接しない方がいい」というわけではありません。
その違う世界の人たちの交わりこそが、自分を見直すきっかけになると思うから。
この話もきっと、そういうことが言いたかったのではないか?と思う。
だって2人とも、なんだかんだで変わり、前に進んでいくんだもの。
そこには、小さいけれども、希望がある。
だからやっぱり、「いるステージが違うから、下のステージにいるあの人たちとは縁を切ろう」みたいなご意見には、賛成できないのです。
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