こんにちは、ドクダミ淑子です。
先日、こんなブログを書いたんですね。
「コロナに負けるな!」って変だ、品薄な中「備蓄」と言って必要以上に買っている人は買い占めじゃないか・・・と言った内容です。
そこから、いくつかリアクションを頂いたのですが、そこでモヤモヤと考えることがあったので、今回はそんな話を書いてみようと思います。
「個人で必要な量」ってそれぞれ
ご意見をいただいて、何回かやりとりしていった方からのご意見は、こんな内容でした。
- 品薄になった時の合理的行動は、品切れに備えて在庫を積み増しすること
- それは備蓄の増加であり、買い占めとではない
- 買い物の頻度が下がると、1回で買う量が増えるだけだ
- 個人で必要な量はそれぞれだ
- 転売以外は買い占めではない
言いたいことは、わかる。
個人で必要な量はそれぞれだから、大家族で米20kgを買っても1週間持たないのかもしれない。
トイレットペーパーについては、訪問介護の方が別の高齢者家庭用に何度も買い出ししているだけなのに、にらまれたという声も見かけたしね。
自分が買うことで、他人が買えなくなるかもしれない
供給量が不安定な中で、自分が多めに買うということは、その分多めに買わなかったら買えていたであろう、他の人が買えなくなる、ということでもあります。
つまり、自分の利益が他人の不利益になる可能性もあるんですね。
色々なご意見があるのはわかりますが、私はやっぱりここに注目してしまうのです。
経済的合理性とか、色々な理屈はあるかもしれないけれども、買いたくても買えない人がいることに。
そして、買いたくても買えなかった人が、次に見かけた時どうするか?
また、その人も多めに買うかもしれない。
その繰り返しが、トイレットペーパーの(一時的な)欠品なんですよね。
トイレットペーパーは解消したけれども、マスクはいまだに朝から夕方まで働いている人は買えない状態になっています。
だから、備蓄だなんだって言っていないで、代替できるものはないかと考えたり、「まぁ、少しくらいなくてもいいか」という気持ちになれないものか?と思っています。
強者だから、そういうことが言えるのか説
・・・という風に考えていたのですが、もう一つ違う考えも出てきました。
「私の言っていることは、強者の理屈なのかもしれない」と。
「トイレットペーパーなんて、なくても生きていけるさ」
「米さえあれば、どうにかなるでしょ」
「レトルト食品なんてなくても、その日に売られている野菜を保存が効くおかずにして、冷蔵や冷凍しておけばいいじゃん」
「2,3日食べなくても、水があれば生きていけるよ」
・・・私は、そうやって対策を取るということや、柔軟に対応するということが当たり前に出来ますが、こういうことをしない・出来ない人もいるということです。
たとえば、トイレットペーパーが無くなったらどうしようと考えると夜も眠れなくなるとか、そもそも炊飯器がなくて鍋で炊くのも難しいとか、料理が一切できないとか。
そういう人は、誰がなんと言おうと、沢山買って安心したいでしょう。
だから、「そうではない人」、たとえばトイレットペーパーも普段から残り4ロール(最後の1段)になるまで買わないし、なくてもどうにかなるという楽観的な私の方が、買わないと不安で仕方がない人に譲るべきなのかもしれない。
強者が減っているからこその「私は大変なの合戦」
今の世の中「強者ゆえの余裕(精神的・経済的)」がある人って、少なくなっているのかもしれない。
誰もが、自分の身を守ることに必死で、他人のことを考えるスキマが減っているというか。
「私は大変だ」と言って、大変合戦が繰り広げられて、「私はそこまで大変じゃないから、譲ります」って人が減っている。
私の「備蓄じゃなくて買い占めだろ!?言い訳すんな」もそうですよね、心に余裕がない。
強者側は、自分たちが恵まれていることを理解して、自分達と違う境遇の人に対して譲り合ったり、思いやりのある行動をとらなければいけないと思う。
モヤモヤが発展しすぎて、全然違う方向に言った気がしますが、私はトイレットペーパーが無くても生きていけると思っている側の人間なのです。
買い占め騒動やロックダウンでスーパー閉鎖なんてことにおびえないし、いつも通りの在庫量で生きていけると思っている。
そういう意味で、こういうイレギュラーな場面に強く、強者と言ってもいいかもしれない。
だから、そうではない人の備蓄なのか買い占めなのかにグチグチ言っていないで、いつものように、のん気に過ごしていこうと思います。
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