ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

「安否確認」をサラッと言える無神経さについて

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

京都アニメーションの被害者の実名を公開する・しないというニュースを見ました。

 

それを読んで私が思い出したのは、東日本大震災後のやりとりです。

 

東日本大震災が起こったのは金曜日。

週が明けての月曜日に、男性社員のこんな言葉を耳にしました。

 

「安否確認のためにお電話しました」

 

私は耳を疑いました。

(ハァ?何言ってんのコイツ!?)

 

 

「安否確認」ってなんなの?

私の住んでいるエリアは特に大きな被害というのはありませんでしたので、大体の答えが「何も被害がない」だったようでした。

「あ、そうですか~よかったです~。ではまた改めてお電話します」

 

用件それだけ!?

 

その男性の先輩は、「安否確認のお電話でぇ~」を繰り返し、他の人も真似して「安否確認」の電話をしていました。

 

もうね、こういうのって、あり得ないと思ったんですよね。

なんて無神経なんだろう、と。

 

一介の営業担当者ごときが、仕事で関係があるお客様に「生きてますか?」と電話することに、なんの意味があるのだろうか?

もしも「安否確認」の「否」だったらどうするのか?

家族や親戚が亡くなっていたら?

家が全壊していたら?

 

彼はどんなリアクションをするのだろうか?

 

同じようなことを、京アニ関連で「アニメファン」「マスコミ」がやろうとしているんですよね。

 

「生きてますか?」と聞きたい、「生きてます」「この人は死にました」という答えを得ようとする。

どこからどう考えても、無神経だろってこと以外の感想が出てきません。

 

 

報道の自由?真実を知りたい?

マスコミ側は、「報道の自由」とか「真実を知るために被害者の実名は必要だ」と言いますが、なぜ、被害者の名前を知ったら「真実」とやらがわかるのだろうか?と思います。

 

犯人が火をつけたこと以上の「真実」が被害者の中にあるのだろうか?

絶対、ないだろう。

 

被害者のアニメーターとしての功績などは、ごく身近な「家族」「友人」が知っていればいい話で、たとえファンであったとしても、それは被害者本人にとって「身近な人」ではないのです。

 

 

人が死んだときに、相手との関係がわかる

取引先の安否確認をする先輩の話に戻りましょう。

「たとえとても良い関係でも、所詮仕事での関係だから、亡くなったとしても連絡は来ない」というわけではありません。

 

私は何回か、取引先の方のお葬式に参加したことがあります。

仕事のつながりであっても、しっかりと信頼を得て、人間関係を構築していたら、亡くなった時にもきちんと連絡が来るんだなと、その時に思いました。

 

だから、「安否確認でぇ~」なんて電話をする必要なんて、ないのです。

もっと言うと、一介の営業マンなら「夏季休業が明けて今日から営業再開です」も、言う必要がないと思っています。

 

私は、電話を減らしたい派。 

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意味不明な確認やお知らせのお電話なんてしなくても、ちゃんとお客様から選んでもらえる営業になりたいと、日々考えています。

 

 

 

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