こんにちは、ドクダミ淑子です。
「鶏口となれども牛後となるなかれ」という故事成語がありますよね。
「牛のお尻(大きな組織の末端)よりも、鶏のくちばし(小さな組織のトップ)になるほうがいいよ」と言う意味ですね。
更に意訳すると、「大企業の平社員よりも、中小企業のトップの方がいい」という感じにも言えると思うのですが、私は最近コレに疑問を持っているのです。
「相対的に」優秀な人間になっている
私は、今勤めている会社の中では、ハッキリ言いまして、超優秀な社員だと思います。
これは決して、自分の能力が高いというわけではなく、周りのレベルが低いから。
だって、百分率(%)のことがわからなかったり、アポの日時を忘れちゃったりする人がわんさかいるのですよ。
更にそれは、業界全体が割とそういう感じということもある。
人材業界というのは入れ替わりが激しいので、入社3年未満の社員が圧倒的に多く、4年目くらいから課長とかリーダー的な役割になるくらい、人材の層は薄くなっています。
入社2年目くらいから後輩の教育担当になり、若鳥がひなを育てているような感じになって、ヤバい奴が量産されていくのです。
そんな人材業界で10年生き残っている私は化石みたいなもので、私にとって「フツーに仕事をしているだけ」でも、「超優秀な人」になっちゃうんですよね。
絶対的な問題ではなく、単に周りがヤバい人ばかりだからという、相対的な問題なのです。
私は成長できているのだろうか?
私は別に後輩とか部下とかのマネジメントがしたいわけではなく、どちらかというとお客様に向き合っていたいタイプ。
だから、別に周りがヤバい奴であろうと、自分がちゃんと仕事ができているという実感があれば、お客様の役に立てていると思えれば、満足なのです。
でも、本当に私は「切磋琢磨」できているかというと、ちょっと疑問になってきたりもするのです。
「牛後」って、上がたくさんいるってことでしょ?
「鶏口」って聞こえはいいかもしれないけれども、見方を変えれば「小さな鶏ごとき」だし、「井の中の蛙」「お山の大将」っていう言い方もできる。
「牛後」って言うのは末端・底辺かもしれないけれども、こちらも見方を変えれば「大きな牛」だし、別に尻にとどまらず、しがみつきながら前に進んでいくこともできる。
自分の前に色々な人がいれば、その人から学ぶこともあるかもしれないし、「追い越す」という楽しみもある。
他の世界も積極的に見ていこう
そんなことをちょっと考えながらも、「鶏口」は、なかなか手放せないものだったりします。
私は子どもが欲しいし、子育てしながら働くと考えると、ここまで私を高く買ってくれている会社で、「優秀な人が第一線を退いてママをしている」というポジションでちょっとペースを落とすくらいがちょうどいいと思っているから。
こんなことを考える私は、成長を拒絶している、ダメな女なのだろうか?とモヤモヤしている。
でも1つ決めたのは、他社も積極的に見ていこうということ。
「サラリーマン批判」をしている人を見ていると、「何その古いイメージだけで語ってる姿?ヤバくね?」と思うことがあります。
「仕事終わりに毎日上司に飲み会に連れて行かれて、自慢話を聞かされる」とか。
「上司が帰らないと帰れない雰囲気があって、毎日終電」とか。
いつの時代なんだ?と思います。
もし、今もその状態なら、そこが世間一般からかけ離れたただのブラック企業なだけの話で、どの会社もそうだと語られても困るのですが。
彼らに足りないのは、イメージだけで語らず、最新の情報をキャッチしていくというスタンス。
そう、「井の中の蛙」であり、「お山の大将」なのです。
私の「鶏口でいいや」も、サラリーマン批判を繰り返す「的外れな人々」と同じになってしまう可能性を秘めています。
だからこそ、意識して、別の環境、特に「牛後」、さらに「牛頭」をしっかり見ていこうと思うのです。
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