こんにちは、ドクダミ淑子です。
日々、基礎学力がアレな子の教育係兼ツッコミ係として活躍をしています。
基礎学力もアレだけど、仕事の基礎能力もアレでして、なんでもすぐに忘れちゃうし、抜けちゃうし、数字の入力もすぐに間違えちゃうし、そのくせ確認作業というものの存在も忘れちゃうんですよね・・・
うーん、困った。
ある日、その後輩とミスについて話をしていました。
「もう少しミスを減らすにはどうしたらいいか、真剣に考えてみたらどうかしら?」
すると後輩は、こう言いました。
「この前、真剣に考えてみたんですけど・・・こんなにミスが起きるような仕事内容がおかしくないですか?」
ミスを生む環境がおかしい?
自分がおかしいのではなく、仕事内容がおかしい。
ほう、そう来たか。
「どうしてそう思ったの?」
言い分を最後まで聞いてみよう。
「だっておかしくないですか?間違った見積書が作れて、簡単にお客様に出せちゃうことが。ゼロが1つ多かったら警告が出るとかしないと。その辺がこの仕事はゆるいと思うんです!」
「なるほど・・・」
ゆるいのは仕事なのか、この子の頭のネジなのか・・・
「友達が不動産業なんですけど、他の業界では契約書を自分で作ったりしないみたいから、ゼロを1つ間違えたりするミスは起こらないそうです。ウチの会社には間違いやすい仕事があるから、ミスが起こるんだと思います」
「そうか・・・」
ゼロを1つ間違えるって、そもそもあまりないよ?
徹底的に「私は悪くない」なのだ
『ミスをする私は悪くない、悪いのはミスが起こるような仕事があるからだ』
まぁ確かに、それは一理ある。
「でもさぁ、なんで他の子は同じ仕事をしていてミスがないのに、あなただけミスが多発するの?」
「それは・・・たまたまだと思います!たまたま私が最初にミスして怒られるから、みんなの気が引き締まって、その後のみんなのミスが減っているんだと思います」
「ほう・・・」
自分のミスのおかげで、周りの皆の気が引き締まっている。
だから自分がミスばかりすることには、価値があることなのだ。
なるほどそういう視点も・・・ないよバカ!!
便利になると人はバカになる?
どんどん便利になる世の中。
その恩恵を受ける私達は、どんどんバカになっていく・・・
この後輩の台詞を聞いて、そんなことを思いました。
「間違いやすい料金設定」
「見にくいUI」
「分かりにくい申し込みフロー」
「理解できない契約書」
これらは、間違える人間ではなく、仕組みの方が悪いとなる。
私からすると、「気づかない自分、理解力の低い自分が悪い」って思うけど、そうじゃないのね。
人間は直感的に・ストレスなく・スムーズになんでもできるようになり・・・何も考えなくなるのではないかと心配になりました。
どこまでバカに合わせるべきなのか?
さてタイトルの、「どこまでバカに合わせるべきなのか」について。
この後輩が入ってから、私の働く会社の選考基準は少し変わりました。
- 基礎学力下位20%は足切り
- 何かの失敗・挫折をした原因を「自分以外のせい」にしない
つまり、「私が面倒を見ている後輩レベルの子は採用しない」ということです。
でもこれから、こういう考え方の子って増えそうな気がするし、採らざるを得ないってなる時代が来るかもしれないなぁ。
そう思うと、軽くめまいがした、ある日の昼下がりでした。
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