ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

私は、現実を受け入れすぎるのかもしれない

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

ある日、ふと思いました。

「私は、なんでも受け入れてしまいがちなのかもしれないな」と。

 

フェミニストや #KuToo 運動とかを見ていると、自分は果たしてそこまで、長期にわたって、多方面に向かって、怒り続け・行動し続けられるのだろうか?と思ったのです。

 

私はどっちかというと、長期に怒ってアクションし続けるよりも、「まぁそういうイカれたこと言う人、いるよね」と言いながらスッと距離を置いたり、いつの間にかかつて違和感だったものを受け入れたりする。

 

先日パワハラとちょっと戦ったけど、1日で一旦は解決したから、長期的に怒り続けてはいない。

そして、パワハラした側の気持ちも、少しはわかってしまったりする。

 

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私は、「ある一方の立場だけに立って怒り続け、それを自分のライフワークにすること」は出来ない人間なのかもしれない。

 

 

「こんな社会、おかしい!」が止まらない人を見た

なぜこんなことを思ったのかというと、Twitterである方のツイートが流れてきたからです。

その方は、大手企業を経て、現在はパラレルワーカーをしているキャリアコンサルタントの女性です。

 

彼女は、常に何かに対して疑問をいだき、「おかしい」と声を上げています。

 

  • 人を見る目がない人事
  • 「あなたの為を思って」とか都合よくいい人アピールする上司
  • 「出世のために働くべき」と押し付けてくる会社
  • うつになった時に「相談してくれればよかったのに」と言う相談しにくい育成担当
  • 休職から復職したら冷たいことを言ってきた人
  • 突然転勤を知らせたり、初期配属を縁のない土地にする会社
  • 新しいことを学ぼうとしないおじさん
  • 高圧的な面接官
  • クールビズ制度について
  • いつまでも子ども扱いする親
  • 「週の半分は洗い物をする優しい旦那さん」と紹介するTV番組
  • 人事は新卒(プロパー)が多いこと

 

過去2ヶ月くらいのツイートを見てみましたが、とにかく怒っている。

いや、怒っているのではなく、「問題提起」しているだけなのかもしれない。

でも、その文章から私は「怒り」を感じてしまいました。

 

 

世の中を変えるのは「怒りというパワー」なのだろうか

この人は、ちょっと前に、退職前に大企業の社長にメールを送り、丁寧な返信が来たらそれをTwitterに大公開するという、ちょっと常識はずれなことをした人です。

まぁこのツイートを見ていると「常識」なんて彼女にとってはウンコを食べろと言うのと同じくらい、クソくらえなのでしょう(意味変わらない)。

 

誰かが「彼女は社会に影響を与える人です」と書いたコメントを見ました。

たしかに、この位パワーを放出できる人は、社会に影響を与えることができるだろう。

それだけ、怒りというパワーは大きい。

蓮舫さんも常に怒っているシーンがTVで流されているし、それはそれはパワーを感じる。

 

ネットで拡散されるのも、「怒り」というのが多い気がする。

もちろん、「心配」「楽しさ」「悲しみ」もあるけれども、「怒り」「非難」「反対」が拡散しやすく、ニュースの見出しには常に「炎上」「批判殺到」が浮かんでいる。

 

 

私は、社会には影響は与えられない「器」なのだろう

そう考えると、私みたいな人は、人は、社会に影響を与えられない人なのだろう。

飽きっぽくて、(意外と?)あまり怒らなくて、いつも「まぁそうですよねー」「そういう考え方もありますよねー」「別の立場に立ってみると・・・」なんて常にフラットでいようとか思っちゃって、ついでに社会人10年以上もやっちゃって、色々な理不尽を耐えるのではなく、乗り越えちゃった人は。

 

「おかしいものはおかしい!なぜならおかしいからだ!!」と怒る前に、あれこれ余計なことを考えてしまうからだ。

 

そして、社会を変えるのではなく、自分ひとりだけさっさと変えてしまう。

「靴?そんなのヒールでもフラットパンプスでも、どっちでもいいでしょ。私は履きたい方を履くわ」と言って履き替える。

そのせいでたとえ職場から浮いても、別に何とも思わないし。

言われて嫌なら、辞めるし。

 

 

自分が異端児であることが当たり前で育ってきているからなのか?

ここまで書いていて、思ったことがあります。

私は、自分が異質であるということを全く気にしない人間だということ。

小さい頃から変わり者だと言われていたし、みんなと違うことをしても恥ずかしいと思いませんでした。

自分がしたいことなら、別に誰が何と言おうと貫けばいい。

個性的なファッションに目覚めていた時期もありましたね。

オフィスファッションはさすがにTPOを踏まえているけれども、結構好きにやっています。

 

常に、「偉い人とケンカしたり意見が合わなかったら、辞めてやる」と思いながら仕事をしているので、そこまで思い悩むこともありません。

 

そんな私は、きっとみんなの「負」を解決するために、怒りを爆発させたり、運動を起こしたりということはできないでしょう。

「みんなで社会の決まりを変えようよ」という運動に、「その前に私は自分を変えるわ」で終わってしまいそうだから。

 

 

私にできるのはなんだろう?

私には、社会に怒りで訴えるようなことは、できない。

できるとしたら、目の前の人がちょっとだけ元気になれるようなことだけだろう。

 

怒りのパワーはそこまでないかもしれないけど、怒りじゃなくても小さなことだったらできるはず。

現実を受け入れすぎず、ちょっとくらいは違和感を持って、おかしいと思ったら自分だけさっさと変えるんじゃなくて、誰かと一緒に変えてみる。

そうやって、ミクロなところから、誰かの力になれればいいなと思ったのでした。

 

 

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