こんにちは、ドクダミ淑子です。
ネットの世界では、「箸の持ち方」なんて話がちょっとした問題になっているようですね。
詳細はこちらをご覧ください。
私はこれを読んで、自分の母のことを思い出し、ものすごく感謝しました。
今回は、 「マナー」全般についてのお話です。
「常識」「マナー」にはうるさい母
私は、どちらかというと昔から「変わっているね」と言われてきた人間です。
でもそんなことを言われる私を恥じて、母は私を「常識的な人間」に育てようとしてくれました。
- お箸はきちんと持ちなさい
- お箸や食事のマナーを守りなさい
- 靴はきちんと並べなさい
- 挨拶はしっかりしなさい
その他、冠婚葬祭のマナーや普段の郵送のマナー(「宛」を二重線をして「御中」に書き換えるなど)を事細かに教えられました。
宿題もしっかり終わらせるように習慣づけられました。
小さい頃は「面倒くさい」「なんでそんな意味のない事ばかりうるさく言うのか」と思っていましたが、30代になった今、そういう母の教えが自然と染み付いていることが、私の「社会人」「地域人」としての生活を円滑にさせているのだなと思うようになりました。
もしも「マナーなんて教えない」という親だったら
もしも私が基本的なマナーを知らずに生きてきたとしたら、今の会社員という世界で、「常識を知らない奴」となって苦しんでいただろうなと思うのです。
仕事できない上にマナーもなってなくて、何か注意されたら開き直る奴なんて、面倒くさくて関わりたくないですからね、私なら。
幼いころからの習慣は、ふとした時に表れるもの
私は営業をしていますが、訪問する会社によっては、靴を脱いでスリッパに履き替えるような会社もあるんですよね。
一度、同行した後輩が靴を脱いでポイっとそのままスリッパに履き替えて、歩き出した時には驚きました。
あとで注意すると、「気づきませんでした。緊張してたからですかね?」と言われました。
意識が別のところにいってると、普段やっていることが出てきてしまうのですね。
私は訪問してきた営業が靴をポイっと投げて入っていったら、その後の商談でも「この人はいい加減な仕事をするんだろうな」と思ってしまいます。
そう、マナー違反などの行動で、「この人はきっとこういう人なんだ」という余計な印象を付けてしまうのも、もったいないですね。
「内面で勝負する」の難しさ
たまに、「内面で勝負する」という言葉を聞きます。
学歴があるとか勉強ができるとかは関係ない、見た目も話し方もマナーのあるなしも関係ない、「中身」で勝負するんだというくだりで言われるものですが、これはとても難しいと思うのです。
だって、たくさんの人間がいる中で、どうやって「中身で勝負する場」まで立つのでしょうか?
特に「誰もが就職・転職したい会社」に正規のルート(公募とか)で入ろうとすると、数万人応募の中からの数百人採用、数百人の中の数人と、数%に選ばれなければいけなくなります。
面接の場に進めるのも、おそらく応募者のうちの10%程度でしょう。
採用する側から考えると、何かの指標である程度絞り込みをかけないと、業務がパンクしてしまうのです。
そういう時に、「中身で勝負します!それ以外は関係ありません」という人の詳細をどこまで見られるかというと、正直見ている時間はないと思います。
内面で勝負するためには、まずは勝負する場に立つことが大切で、だいたい「見た目や姿勢なんて関係ありません」という人は、そこまで立てないのです。
これはあくまで「公募」の話ですが、別のルートで入る場合だって、第一印象で損をしてしまったら、「中身もダメな人なのかな?」と思われてしまうかもしれません。
もちろん、「人柄採用」「人物重視」という会社はあります。
中小企業または誰でも採用するブラック企業が多い印象ですけど。
「選択肢をなくす」のはもったいない
私は、箸の持ち方については別にちょっと間違っていたからといって、ダメな人間だと思いません。
自分もちょっと危ういし。
でも、マナーを守るというのは、「世の中の大半が常識だと思っていることを、とりあえずしている」という、最低限のことができている状態のことだと思ってます。
それを「関係ない」「気にしない」「おかしい」というのは個人の自由ですが、マナーを守らないということは、「世の中の大半」と相容れない状態になるということです。
それは、「選択肢を狭めている」ことに繋がる。
もったいないことだなと思います。
だから、私が子供を育てるとしたら、きっと母と同じように「マナーはしっかり守りなさい」と言うのだろうな。
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