ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

「焼肉はタレ派」って、なんとなく言いづらい

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

みなさんは、焼鳥や焼肉はタレ派ですか?塩派ですか?

私は、タレ派です。

 

 

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タレって、どんな調味料を入れるかによって、バリエーションは無限大じゃないですか。

お店によって味も違うし、同じお店でも肉によってタレを変えているようなこともあります。

タレこそ、お店の工夫が集まっていると思うんですよね。

 

 

タレ派を弾圧しようとする、一部「塩・過激派」の存在

しかしそんな中、タレ派をディスッてくる塩派がいます。

いや、もう「塩派」どころの騒ぎではありません。

「塩・過激派」と言ってもいいかもしれません。

 

 彼らは、こんな感じでディスッてきます。

 

塩こそ正義、素材の良さを生かすのは、塩

逆を言うと、「タレは素材の味を殺している」ということなんですよね。

彼らはそれを突いてきます。

確かに、塩だけで美味しいお肉は、とても美味しい、いいお肉です。

しかしだからと言って、タレが素材の味を殺すというのは、間違っています。

タレだって、別の方向から、肉の旨味の際立たたせ方、素材の生かし方を発揮しています。

 

 

タレを使うのは、素材に自信がないからだ

たしかに、タレはリーズナブルなファミリー焼肉レストランでは多様されます。

「○○は、(肉はそこまでおいしくないけれども)タレがうまいんだよ」と評判のあるお店もあります。

だからと言って、すべてのタレを使う焼肉店が、お肉にこだわっていないというのは、話が飛躍しすぎていませんか?

 

 

天ぷら界にも存在する、「塩・過激派」

実はこの問題は、焼肉界だけの問題ではありません。

お隣の天ぷら界隈でも、最近この戦いが勃発しているのです。

「まだ、天ぷらを天つゆで食べてるの?」と言って、天ぷら+天つゆをバカにする人達が手に持つのは・・・塩!

 

塩め、キサマ天ぷら界でも暴れておったのかぁ・・・!!

 

たしかに私も、天ぷらをその場で揚げてくれるお店に行った時に、「お塩でどうぞ」と言われるがままに塩を盛ってちょんちょんと付けて食べて感動しましたよ、「お、おいしい・・・」ってね。

でも、だからと言って、その場で天つゆの皿をひっくり返して、「もうあなたとは付き合えない、さよなら」ってことはしないのです。

 

それはそれ、これはこれ。

塩は塩、天つゆは天つゆなのです。

 

 

問題は、「わかっている私、わかっていないアナタ」という分断

塩もおいしいのですが、塩・過激派はやっぱり許せません。

 

  1. 塩こそ素材本来の味を引き立てるもの
  2. 結局のところ食べ物というのは素材がすべて
  3. だからいい素材を塩で食べることこそ、正義

 

この三段論法でわれわれタレ派を弾圧してきます。

そして、この論法の1を「タレ」にしようとすると、「いや、それは違う」と言うのです。

なぜそんなに「タレ」を嫌うのでしょうか?

 

そう考えると、タレが嫌いというか、「塩というシンプルな調味料で食べる私すごい」という自己満足が入っているのではないかと思うのです。

「塩=食通」みたいなイメージを勝手に作り、それをかたくなに通そうとする、みたいな。

でも、「ツウな私」を演出したいとしても、人を貶めて言うことじゃないんですよね。

 

 

塩・タレ論争は「決着」ではなく「和解」が必要

私は、この論争でお互いが争うことを良いことだと思えません。

 

共に、焼肉業界を盛り上げる仲間じゃないですか!

確かに、塩・タレだと素材に対するアプローチ方法は違うかもしれません。

でも、それはどちらかに統一する必要はないし、どちらが正義でどちらが悪と言う問題ではないのです。

 

タレ派も塩派も仲良く、半々くらいで食べてみたらいいじゃないですか。

実際のところ、お肉によって「塩だと○○だね」「タレだと○○だね」と感想を言い合うことが、塩派とタレ派の抗争を軟化させ、和解への道につながると思うのです。

 

 

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