こんにちは、ドクダミ淑子です。
Twitterのタイムラインで流れてきてずっと気になっていた、おかざき真里さんの『かしましめし』を2冊買って、一気に読みました。
|
どんなストーリーなの?
公式サイトによると、こんな内容です。(リンクされているサイトから試し読みもできます♪)
心が折れて仕事を辞めた千春。
バリキャリだが男でつまずくナカムラ。
恋人との関係がうまくいかないゲイの英治。
同級生の自死をきっかけに再会した、美大の同級生3人。
つらくて心が死にそうになっても、みんなで集い、ごはんを食べれば生き返ることができる。
それはとても温かで、幸福な時間ーー。
3人がそれぞれ抱えていることがあるけれども、美味しいものを食べて幸せな気分になる。
悩みや不安は解決するわけではなく、そのままでいるんだけれども、でも1歩進んだりする・・・そんなリアルな1話完結なストーリーが続いています。
食べるって行為は野蛮で下品?
私がこのマンガを読んでいて思い出したのは、大学生時代にしていた塾のバイトで塾長に言われたことでした。
講師のスペースは、生徒からも良く見えるスペースでした。
学生の私は、休憩時間に特に気にせず、おにぎりかなんかを食べていたのですが、塾長はそんな私を叱ったのです。
「食べるという姿は、本来は人に見せてはいけない下品な行為なんだ。休憩時間だから、食べてはいけないというわけではないけれども、何かものを食べる時には資料室にこもるとかして、生徒から見えない場所にしなさい」
そう言われて、私はよく理解できませんでしたが、普段ヘラヘラしている塾長がガチで怒っていたので、従うことにしました。
・・・と言う話を、このマンガで思い出したのです。
3人の食事風景は、とっても野性的で・野蛮で・下品。
熱いものをフーフーしながらも熱いまま食べて、ハフハフしたり、美味しすぎてかき込むように食べたり、口の中にモノを入れたまま喋ったり・・・決して上品な食べ方ではありません。
恍惚な表情、ズルズルと音をさせながら齧り付く・・・ああ、食べるってことは野蛮な行為っていうのはこういうことか、と思ったのです。
一緒に食べるという関係は、特別な関係なのだ
普段はそこまで意識しないけれども、ご飯を一緒に食べる関係って、やっぱり特別な関係なんだなと思います。
何かを自分の体内に口から吸収する、こんな野性的な行為をお互いやって、向かい合って、見せ合うんですから。
どこかで「焼き肉をするのは、特別な関係の証拠」と聞いたことがありますが、焼肉なんて最たるものですよね。
動物の生肉をその場で火にかけて、焼けた肉をそのまま食べるという、ライオンがやることに火という+αをするだけの、原始的で残酷な行為なんですもの。
美味しいものを食べられたら、その日は及第点だ
私は食というものを大事に、毎日生きています。
いつ・どこで・誰と食べるか?
できるだけ、嫌なシチュエーションで食事をしないようにしています。
デスクの上で、モニターを見ながらサンドイッチを詰め込むような食事をしないように日々の仕事を組み立てています。
夕飯だって、簡単なもので済ませることもあるけれども、毎回「おいしい」と言う食事にしたい。
人生いろいろあるし、毎日がハッピーなわけじゃないけれども、美味しいご飯を食べられたら、その日は「良い日だったね」で終われるじゃないか。
マンガに出てきた3人も、仕事やその他の生活でいいことばかりじゃなくて、モヤモヤを抱えたまま食事に来る。
「美味しい~」「サイコー」「止まらない!」とみんなで感動しながら食べて、幸せな気持ちになる。
でも、抱えていたモヤモヤが晴れるわけではなく、それはそれでモヤモヤのまま残っている。
それでも、少しだけ前進して、モヤモヤもちょっとだけ姿を変えて、1日が終わる。
改めて、このマンガを読んで、食べるって不思議な行為だなと思ったのでした。
続きはこちらから