
こんにちは、ドクダミ淑子です。
はあちゅうさんの「女性が!生きづらい!」について色々と考える今日この頃。
その中で色々な意見を見ていると、「成果主義と育児家事の食い合せの悪さ」みたいな話にぶつかるなぁと思うのです。
「育児」は仕事の実績としては評価されない
まず、前提として、「育児をしている」というのは、多くの人にとって「仕事での実績」には無関係なんですね。
たしかに「子育てママ目線で見ると」とかいうのはあるし、普段の生活で対応している人が多ければ多いほど接客やコミュニケーションの幅が広がるということもある。
でも、じゃあ「この人は営業成績ビリで目標未達成だけど、ママとして子ども5人育てながら家族全員インフルエンザで1ヶ月会社休んで生き抜いたから最高評価で!達成したことにする!」とはならないわけですわ。
それは、営業成績トップの方を評価すべきに決まっている。
だから、「営業成績が全て」という会社で働いているならば、急な休みや時短勤務でも成績を上げられるように他の人よりもさらに一層努力しなければならないし、それが無理なら転職したほうがいい。
はあちゅうさんの主張だと、「んでもぉ、私子育てしているんですぅ!育児家事していない人達や男性と比べられるなんて不利じゃないですかぁ?長時間働けるからって成績上がるのズルくないですかぁ?」って言うことにならない?
そしてそれを「女性だけ、ママだけが、育児と家事と仕事の三重苦!」とされると困るわけですわ。
仕事はルールの中で戦い、育児と仕事とは別次元の話。
とてもシンプルなことなんですよね。
こういう状況の中で「公平」な職場環境を作るのなら、同一労働同一賃金の世界に割り振るって話で、実際そうなっているんだけど、はあちゅうさんの描く世界は「子育て中の女性に下駄を履かせろ」にしか聞こえないんですけれどもそれはどうなんでしょう。
・・・と書いていたら、本人は「フェミニズムが最終的に目指すのは柵のない社会」と書いていましたが、それは「どんな成績でも実力でも差をつけない」ということなのだろうか?
そんなのが「会社」というフィールドで、あと資本主義社会で成り立つかというとそれは難しいんじゃないかと思いますけどね。
それは自分の選択の結果でもあるので
このあたりは難しい話だし、何が良いのかなんて人それぞれなんですよね。
はあちゅうさんは、「子育てと家事と仕事で全てを求められる三重苦!それを女性のみが押し付けられている!」と言っているけど、そもそも「その3足の草鞋を履く生活を選ぶかどうか」も個人の選択なわけで。
そこで「育児はお国の為だからぁ!」「育児中の人には手当付けろぉ!」ってなると、もうそれはただのモンスターなんですよ。
自分の選択にある程度の責任を持ち、その選択について回る不利な点をも受け入れる・・・それが大人なんじゃないかと私は思うのです。
私自身は仕事しつつ育児も家事ものらりくらりやってなんだかんだ生きているって感じなんだけど、実際は仕事ではかなり配慮していただいているなと感じる。
でも、それを当たり前だと思わないし、フルタイム+残業有で働いている人の方が評価されて当然だと思う。
私がこれで「仕事でもっと評価されたい!」って思ったら、もう少し会社の近くに引っ越したりフルリモート+残業とか、時間外の営業ミーティングに参加したりとかしなければならないのだろうなと思うけど、それは無理だし、新卒から17年同じ会社で仕事風景を見てきたので「営業ミーティングは誰もが参加できる昼間にやれ!昼間に!」というのが実質無理だと言うことも知っている。
全てを取ることは出来ないし、24時間を何に使うか、自分の意識の100%をどう分配するかはその人次第なのだ。
自分の立ち位置が優遇され続けたい、あとは知らん?
はあちゅうさんはなんだかんだ言って、「子育て中だから大目に見て欲しいけど、だからと言って冷遇はしないでほしい。育児中の男性も同じくらい突然の休みや早退に苦しんで欲しいし、家事はやりたくないから他に投げたい。でもママなのに楽しているとか批判されずに頑張っていると褒めてほしい」って感じなのだろう。
それが「アンフェア」だということになぜ気づかないのだろうか。
気づかないのだろう、彼女は「自分目線が全て」な人間だから。
彼女は、自分が妊娠してから「妊娠がものすごくつらいと知った」と発言しているのですが、その前は妊娠した先輩や同僚に対して無配慮な考えだったと書いていましたね。
妊婦の友人が腰痛のためにクッションを四六時中持ち歩いていたのを見て、「へー! ランチのわずかな時間くらい我慢出来そうなものなのに」と思ったり、安定期に入るまで妊婦であることを教えてくれなかった友人に「水臭いなぁ! 出来た瞬間に教えてよ」なんて思ったりと、とにかく無知&思いやりにかけていたなんてことを書いているんですよ。
自分が妊婦でなければ、妊婦に対しての思いやりなんて微塵もなかったのです。
【本感想】子供がずっと欲しかった タイトルの内容は数ページでした - ドクダミ自由帳
要するに、自分の立ち位置が中心で、自分のつらささえ解消されれば他の人のことはどうでもいいんですわ。
だから彼女に「男性のつらさ」みたいなのを語っても、鼻で笑われそうな気がしますね。
そんな人の言う「私はフェミニスト」なんてただの自分を優遇してもらうための言い訳でしかないと私は思ってしまうのです。
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