ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

子どもにどこまで「杖」を出すのか


こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

私の夫は、かなり子育てに頑張っていると思うのです。

思うんですけれども、でもやっぱりちょっと気になることがある。

 

ええ、今回は「旦那の愚痴」です。

 

 

まだ赤ちゃんだと思ってる?

3歳4ヶ月の我が子。

1歳4ヶ月から保育園に行っているので、もう園児として身の周りのことは大体出来るようになっているんですよね。

トイトレだけ危うい感じだけれども。

 

でも、夫はまだ赤ちゃんだと思っているんじゃないか?と思うことがある。

例をいくつか挙げてみましょう。

 

未だに「あーん」する

保育園でも一人で食べているんだから、食事の時は任せておけばいいと思っている。

時々お腹が減っていない時は残したり、集中力が途切れてしまって「ごちそさま」と言うこともあるんだけれども、そうなる前に、夫は残しそうな雰囲気を察してスプーンですくって「あーん」とか言いながら食べさせたりする。

赤ちゃんじゃないんだから、本人が食べたくないなら食べなければいいと思うけれども、なぜか「完食させたい」みたいなモチベーションで食べさせたりもする。

 

そのくせ、ちょっとお腹が出ていると「太った」とか言う。

じゃあ「あーん」で食べさせなければいいんじゃない?と言うけれども、それは盛り付けた私の適量が悪いらしい。

自分では「子の適量」を判断しないのだろうか?

 

 

口や手をこまめに拭く

家族3人で外食に行って、私が子どもの隣に座ると、「口拭いてあげて」「手拭いてあげて」とうるさい。

赤ちゃんじゃないんだから、最後に拭けばいいじゃん、と思うけれども、「やってあげて」と言ってくる。

ので、じゃあ君が隣に座ってくれと言って、実際に隣に座ってもらっている。

 

汚れたら洗えばいいし、服なんて着替えさせればいいし、家だったらシャワー浴びさせればいいし。

それよりも、「汚れないように気を付けよう」と本人に意識させた方がいいんじゃないか?と思うんだけれども、「子にはそんな意識は持てない」とバッサリ。

いやいや、その「ベタベタで気持ち悪いな」という気持ちを抱く前に、拭いちゃっているからダメなんじゃないの?と思う。

 

 

傘をさす

雨の日には、子どもも小さい傘を持つんだけれども、まだ上手く持てなかったり、傘の柄に気を取られてしっかり差さなかったりもする。

そういう時に・・・自分の傘の中に入れちゃうんですよね。

「雨に濡れたら嫌だから傘を差そう、と思った方がいいんじゃない?」と言っても、「雨に濡れたくないという感覚は持たない」と。

 

だからさぁ・・・濡れないからその気持ちも(以下同文)。

 

 

手を抱っこで洗う

未だに、一緒に手を洗う時は抱っこさせている。

いや、踏み台あるんだけど?

んで、自分で洗えるから見ていればいいんだけど?

でも、彼は抱っこして子どもの手を洗ってあげている。

 

 

着替えもさせちゃう

こんな調子だから、もちろん、夫のそばでは着替えも自分でしない。

寝っ転がって、パパにされるがままに着替えさせてもらっている。

 

ちなみにママと2人の場合は、着替える順番に表裏を合わせて置いておくだけで、一人で着替えていく。

「着替えなんて普段保育園でやっているんだから」と言っても、「でも、オレの時はオレに任せるって感じだから」と答えてくる。

 

 

転ばないように引き上げる

子どもも私の対応とパパの対応の違いには気づいているんだろう。

パパと歩く時は、いまだにぐにゃぐにゃしたり、わざとバランスを崩したりしてふざけている。

ママと歩くとふざけると容赦なく手を離されて転ぶということが分かっているのでちゃんと歩くけれども、パパと歩くとふざけても転ばないように引き上げてくれると分かっているからダラダラとよりかかったり、変な方向に重心を掛けたりする。

それに「ダメだよ~」と言いながら、きちんと対応している夫。

腰、死ぬぞ・・・?

 

ちなみに階段でもジャンプしたりとふざけている。

本当に止めて欲しい。

 

 

横断歩道で止まらない

まだまだ出てくる。

2人で歩いていると、横断歩道を渡る時も立ち止まるなどはしない。

横断歩道の少し前にパパが左右を見渡して渡るから、子どもは「パパはあらかじめ確認してから渡っている」を理解していないと思う。

 

 

転ぶ前に杖を出しまくる

そんな感じで、夫はとにかく「転ばぬ先の杖」よろしく、転びそうなところで、事前に先回りして、対策を練って回避行動をしてしまったり、何でもお世話しちゃったりしている。

 

安全で効率が良いのかもしれないけれども、それって本当に子どものためになっているんだろうか?と思うことがある。

 

彼が24時間子どものそばにいられるなら、それでいいと思うんだけれども、子どもは保育園に通っているし、ママと一緒にいる時間の方が長い。

だったら、「今後困らないように」という視点で、今自分でできることをきちんとさせることを、危険を学習する機会や不快を感じそれを回避する方法を考える機会を、逃さない方がいいんじゃないか?と思う。

・・・んだけれども、それがイマイチ伝わらない。

 

「淑子も同じくらいちゃんと見てあげればいい」というお返事。

だからそれが「過保護」っていうんじゃないの?

 

土日しか見ないくせに、「自分がいれば大丈夫」は危ないと思うんだけれども、なぜかその辺が「淑子がいい加減だから、オレがちゃんとしている」みたいに言われる。

 

 

やっぱり「サブ担当」なのよね

色々考えると、やっぱり(あくまでも我が家の場合)、パパは育児のサブ担当なんだなと思ってしまう。

長い目で育てるというよりも、今、この瞬間に子どもが不快な思いをしないように、できるだけ不快の芽を摘んでおこう、みたいな。

転んでも起き上がる力よりも、上手く転ぶ方法よりも、転ばないように対策してしまえ、みたいな。

 

これは接する時間の問題なのか、子どもの発達を甘く見ているからなのか、子どもが夫に見せる顔が普段のものと違うものなのか・・・

 

でも、私の考えは間違っていないと思うから、一緒に歩いている時にふざけて重心を変なところにかけたら、手を離して転んでもらいますわよ。

 

 

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