こんにちは、ドクダミ淑子です。
いつからか、旅行の行き帰りの移動中は、ミステリー小説を読むようになりました。
最初は、長編小説を読んでいました
昔は、「旅先には長編小説を持って行く」でした。
電車や飛行機の時間って、結構長くて退屈だったりするんだけれども、その間を楽しめるようなもので、なおかつ出来るだけ長く楽しめるもの、って感じで長編小説を持って行っていた。
今でも覚えているのは、大学生の時の長期休みの時に、オーストラリアに留学している友人のホームステイ先に転がり込んだ時に持って行った、『半島を出よ』。
昔も書いたことがあると思うけれども、これがまぁアレな、バトロワ的な小説だったんですけれども、なかなか面白かった。
なぜかオーストラリアで「北朝鮮の反乱軍に福岡が占拠された話」を読んでいたんだけれども、そのちぐはぐさも含めてすごく印象に残っている。
当時は福岡に行ったことがなかったんだけれども、数年後に福岡へ初上陸した時に、「ほうほう、これがあのホテルか・・・」と思った。
あらすじが気になる人はこちらをご覧ください。
ビジネス書じゃダメなのよ
私の中で旅行っていうのは、「自分を高めるための旅」とかそういうのじゃなくて、完全に娯楽なんですわ。
ボケーっと行って、「これ、美味し~い」「アハハ、楽し~い」とワイワイして、またボケーっと帰ってくるもの。
そういう時に、ビジネス書って要らないと思っている。
ビジネス書って何か自分の中に燻ぶっているものとか「課題感」とか「不足感」みたいなものがあって、それを補うためのものでしょ?
そういうのは、仮に何か足りなければ普段の生活で摂取すれば十分かなと思っている。
なので、出来るだけエンタメに振り切ったものを読みたい・・・となると、ミステリー小説っていうのは私にとってぴったりなのだ。
伊坂幸太郎からの東野圭吾
最初は「長編小説」みたいな縛りだったんだけれども、だんだんと「ミステリー」になってきた。
昔は伊坂幸太郎さんの小説を読んでいたんだけれども、なんとなくプロットや文章にクセがあるのが気になってきてしまって、次第に東野圭吾さんの小説を選ぶことが多くなってきました。
なんていうか・・・王道ミステリーって感じがする。
そんなに色々な作家のミステリーを読んでいるわけではないんだけれども、「新進気鋭の」「話題騒然」「沸騰中」「バズり」みたいな作家さんよりも、ちゃんと起承転結があり、長編のミステリーとして成り立っているところが、はずれがないところが良いなと思っている。
そんなこんなで、「マスカレード」シリーズは文庫になっているのは読んでいるし、それ以外にもぼちぼち読んでいる。
今回の旅のお供は
今回の年末年始の義実家帰省のお供は、こちらでした。
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特に何も考えずに、エキナカ書店の話題の文庫コーナーに平置きされたこれを手に取って、そのままレジに進んだ。
読んでいて、「懐かしい」と思った。
時代はコロナ禍が始まったばかりくらいの頃。
「何県では感染者が2名出ました」みたいな話題で騒然となっていた頃。
とにかく人と人との接触を防ごうとペンは1回使ったら消毒とか、実家に帰省するなとか、今となっては「そういう時期もあったよな」と思うようなエピソードが入りつつの、観光業で打撃を受けた田舎町を地元民たちがどう捉えて戦っていくか・・・というのが殺人事件と並行して描かれている。
結局、移動中だけで読めるわけもなく(移動中は子どもを半々で見ていた)、義実家でも隙を見つけては読み、買い物にかこつけて脱走してカフェチェーンに駆け込んで読んだりもしていたんだけれども。
そのくらい、のめり込んで読める本だった。
だからと言って、読み終わって自分にとって「楽しかった」以上の感想はない。
しいて言うなら「ここに行ってみたいな」と次の旅行先の候補が出来るくらい。
でもそれが、ミステリーの良いところなのだ。
ただ楽しむだけっていうのは、贅沢だと思う
この話は、特に何かオチがあるというわけではなく、このまま終わるんだけれども、「コスパ」「タイパ」「自己成長」とかを考えないで、ただただ何かを楽しめるって、とても贅沢なことだと思うな。
費用対効果ばかり考えていてもつまらないし、「これは私の人生にとって何の意味があるのか」とか考え始めたら、大抵のことは意味がないし、子育てにもコスパを求めるようになってしまう。
それはとても空しいことなのではないかと思う。
まぁそんな感じで、私はどこかに行く時にミステリーを読むんだけど、最近「移動時間が結構かかるどこかに行く」ってことが少ないので、読めそうな本はどんどん貯まっている。*1
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*1:ついでに積読も貯まっているな。今年は一旦全部読みきろうかなと思うけど、だいたい無くなりそうになったら次の本を買ってしまうから永遠になくならない。