こんにちは、ドクダミ淑子です。
今日は、私の性格の悪さ全開のお話を。
ネガティブコメントがありました
このブログのコメントは一応承認制を取っています。
時々全く関係ないサイトの宣伝や、宗教(なぜかイスラム教)の勧誘や、Twitterの某三浦さんですか?みたいな改行なし長文ポエム(ブログの内容関係なし)が入ったりするのでそれは非承認なのですが、それ以外は承認しています。
今回届いたコメントはこちら。
なんとなく読んでみたけど、不快でした。
自分は恵まれてるんだー!ってわざわざ言いたい感じがイタい。
「なんとなく読んでみた」は、「普段からお前のブログなんて読んでないからな!」ということでしょうかね。
何にそんなに不快を感じているかというと、時短勤務で惰性でまったり仕事してもどうにかなっちゃうし、もう自分の実績がどうのこうのとかどうでもよくなっちゃった~という内容のブログ。
これを読んで、私はどう思ったかというとですね・・・
「そっか!私って恵まれてるよね、やっぱり!」でした。
我ながら性格悪い!
そして承認!
ブログの外では謙虚です
私だってね、職場では一部の人にしか「惰性で仕事してま~す!」なんて言っていませんよ(一部の人には言っている)。
「時短でのびのび働いてま~す」も一部の人にしか言いません。
でもさ、ブログの中くらい本音を言ったっていいじゃないですか。
そういう、言いたいことを言う自由は誰にでもあるので、どんなコメントであろうと不快だと書かれようと承認はするんですけど。
大変なのが当たり前の世界
件のブログについては、私が自分の物差しで他の人の仕事へのスタンスについて批判したのは良くなかったなと反省はしたのだけれども、「恵まれているアピール」っていうのはちょっと違うかなと思った。
「私はこんな感じで楽しく仕事しているよ~」というのを「恵まれているアピールだ」「イタイから、してはいけない」というのならば、私は頷けない。
どうして「自分は楽しく仕事をしているよ」と言ってはいけないのだろうか?
最近、「世の中には大変な人がいるのだから、幸せな人は幸せだと言ってはいけない」みたいなのを感じて、ちょっと嫌気がさすことがある。
家事育児を上手く分担して、育児に積極的に関与しているパパは存在しないものとみなされ、仕事と家庭を両立しながら楽しく働いている人は存在しないものとみなされ、誰もが大変な思いをして、誰もがいっぱいいっぱいで、誰もが苦しい・・・みたいな世界を表現しなければいけないなら、私はそれを苦しく感じる。
はあちゅうさんの「子育て中の公園はリフレッシュではなく業務」みたいな、誰もが仕事や育児家事で気を張ってピリピリしているみたいなのが、あるべき姿なのだろうか?
私はどちらかというと、まったくもって真面目ではなく常にダラダラしたい人間なので、隙あらばダラけるタイミングを狙っているし(仕事が忙しいとなかなかできないんだけれども)、他の人が恵まれた環境で楽しくやっているのも、恵まれたアピールがイタイとは思わず微笑ましい気持ちで見ている。
「恵まれているアピール」は「遠慮」し、むしろ大変な人に考慮し、自分の苦しい面を書いたり、楽している部分や恵まれている部分は表に出すのを控えた方がいいのだろうか?
そうやって、皆が「遠慮」していることで、子育てしながらの仕事はしんどく、育児や家事はしんどく、つまり生きることはしんどいことだ、というのばかりが強調されるのではないだろうか。
楽しく生きていることをアピールしている
私は、ブログの外、つまりプライベートで「いつでも楽しそう」と言われることが結構ある。
さすがに「惰性で仕事してます」とは言わないけど、会社の内外でも休日に遊びに行った報告はするし、クライアントと趣味の話もバンバンする。
そうすることで、「仕事以外の時間は悪!」みたいなクライアントを減らしているというのもある。
全てを会社と仕事に捧げている人は、私のような時短で働き、休みの日は遊び回っている人間なんて鬱陶しくて仕方がないのだろう。
ありがたいことに、そういう私の生き方を応援してくれる人と、今のところはいい感じに仕事が出来ている。
恵まれているといったら恵まれている。
けれども、これがいわゆる「引き寄せ」ってやつなのかもしれないなとも思う。
「仕事楽しい!」「子育て楽しい!」「生きるの楽しい!」って言っているから、私の周りはそういう人がたくさんいる気がする。
そしてますます、毎日が楽しくなる。
恵まれているアピールは続けます
まぁそんな感じなので、これからも毎日楽しいぜってことは正直に書いていこうと思います。
もちろん、楽しいことだけじゃなくてしんどいこともつらいこともあるんだけど、そっちに引き寄せられないようにしていきたいのです。
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