ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

「子どもは言うことを聞かなくて当然」と思えない時は


こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

すごくすごく当たり前なんだけれども、子どもなんて自分の思う通りにならないんだなと思うし、それが「なんでママの思う通りにならないんだ!」ってキレ出すのって、親である自分の精神状態が(多少なりとも)おかしくなっているんだなということを、冷静な今、すごく思います。

 

 

イライラしないわけじゃないけど

いや私だって、イライラしないわけじゃないんですよ。

 

今日だって、「出発時刻遅れているなぁ」と思っているのにブロックを1つ1つ丁寧に「ばいば~い、たっち~、また今度ね~」とか挨拶しながらバケツの中にしまっている子を見て、まぁギリギリ間に合うかな・・・と思っていたけれども、そこからウンコに向けて踏ん張り出して、「ああ、もう!」って思ったし、その時点でももう無理と思ったけれども頑張って巻いて巻いてベビーカーに乗せて(いろいろ言い訳しながらまだ送り迎えはベビーカーに乗せている)登園して、ギリギリ目の前で電車のドアが閉まった時に「くそっ!」って思ったりもしたしね。

しかしそれもすべて、私のタイムマネジメント能力と子どもを上手いこと誘導する力が不足しているというだけなのだ。

 

まぁ、そんな感じで、世の中の母親はみんな仏とか神というわけではなく、むしろ野性味あふれる母ちゃんライオンなわけですわ。

仕事している人も多いし、していなくても色々あるんですよね、日々。

だから、ウワァァァンとなるのは仕方がないこともある。

 

 

精神的キャパオーバー、だよなぁ

・・・と思いつつも、最初に戻って。

 

「子どもが自分の思った通りに動かない」ことでウギャーってなってしまう時、それは自分のキャパを超えてしまっているということに気づくサインなのかもしれないな。

 

子供は、親の思い通りには動かない。

むしろ逆を行くものだ。

幼児で、親の思い通りに動く存在なんて、逆に心配じゃないか?

 

当たり前なんだけど、その、当たり前のことを冷静に考えられない状態になりがちなのが、育児なのだ。

 

 

理想と現実のギャップよね

それにしても、なぜ「子どもなんて大人の思い通りになんてならないよね」ということが考えられない状態になるのか?

 

それは誰もが「自分の思い描く育児」みたいなのがあるからだと思う。

 

幼少期に自分が楽しかったことを子どもにも経験させたい、逆につらかったことを子どもには経験させたくない。

こんな母親でありたい、逆にこんな母親ではありたくない。

自分の思い描く「自分のキャパはこれくらい広いはずだ」、つまり理想像から外れてしまった時に、子供の方を修正することで、理想像の方を守ろうとしてしまうのではないだろうか。

 

他には、「こう育てたらよい子になる、みたいな道筋を子供が明らかに外れている時に軌道修正したくなる」とかね。

これは難しくて、「軌道修正しないと大人になった時に苦労すること」だったりすると、「今、何が何でも直さなければ!」になって、それは確かに正しいんだけれども、直そうとすると子供が爆発する、ってケースもあると思う。

私は割と、「今直さなくてもいいか~」になりがちなんだけれども、それが正しいかっていうと正しくはないだろうし、どっちが良いのかなんて、よくわからない。

 

あとは、単純に疲れとか睡眠不足とかもあるけどね。

判断力が鈍ると、方針転換とか臨機応変な対応とかがしにくくなるし。

疲れている時にリクエストされたご飯作って、それを出したら「食べたくない」って言われるとか、そういうのって「疲れている中頑張ったのに」が加算されて余計にイライラするよね。

これも「おいしく食べてくれる」の想像とのギャップでやられてしまうんだろうな。

 

 

私の精神は、試されている

「どうして子どもが言うことを聞かないのか?」となった時は、「子どもは言うことを聞かなくて当然」と返せるかどうか。

これ、めちゃくちゃ難しいんだけど、育児で思い詰めないためには必要だろうな・・・と思う。

2日連続で出かける間際にウンコする子を、「出る前にウンコ出来てよかったね!」と言えるかどうか・・・私の精神力は試されている気がする。

 

 

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