こんにちは、ドクダミ淑子です。
幸せってなんだろうな?なんて、途方もないことを考えるタイミングがありました。
ぷにぷにしているだけで幸せ
たぶん、私の「幸せ」を感じるセンサーはめちゃくちゃ感度が良い。
たとえば、寝かしつけの時に子どもの手を握り、その柔らかくてモチモチすべすべの手や腕をぷにぷにしているだけで「幸せ~」と幸福感MAXになる。
え?このモチすべ肌をぷに放題ってどんなサービスですか?
最近は、アンパンマンが大好き過ぎて、「顔が濡れて力が出ない~」「すぐに、新しい顔を焼くよ!」「アンパンマーン、新しい顔よ、それ~」「元気100倍、アン・パン・マン」「アーンパーンチ!」「バイバイキーン(キラリーン)」「待ってよ~(キラリーン)」のくだりを真っ暗闇の中でおしゃべりだけでやる*1んだけど、それで子どもが「ムフフフーン」と笑うだけで楽しくて仕方がない。
アンパンマンつながりで言うと、最近huluに入ってアンパンマン見放題生活してるんだけど、時々隣に座って一緒に見るようにしている。
好きなキャラの好きな台詞が出てくると、「へぇあはぁっ!(出ましたね名台詞!)」と言いながらこっちを見てくるのが最高にかわいい。
まぁそんな感じなので、私の幸せを感じるハードルはめちゃくちゃ低い。
幸せの自己完結
後半の、アンパンマンのコミュニケーションはまた別問題なんだけど、前半のぷにぷにだけで満たされるって話のように、私の幸せっていうのは、あまり他者がどうのというのは関係がない。
子どもの寝顔見ているだけで幸せ。
ただ、こういう低次元の(あえてこういう言い方をする)幸せでどうにかなる人の方が稀なのかもしれない。
特に、「承認欲求」みたいな、自分の振るまいに他人がこんなリアクションをするだろうと予想して、それが的中して実際に思った通りのリアクションが返ってきた時に幸せを感じるみたいな、面倒臭いプロセスを踏まないと幸せを感じられないみたいな人がいて、それはそれで大変だろうなと思う。
はあちゅうさんが保育園の登園前にインスタライブをやって、どこからどう見てもくたびれたアラフォーのスッピンを晒しながら甲高い声で喋っているのをチラリと見て、そんなことを思った。
なんで、平日朝のクッソ忙しいであろう時間帯に、一刻も早く保育園に連れていかねばと多くのワーキングマザーがドタバタやっている時間帯に、わざわざインスタライブなんてするのだろう?
・・・きっと、それをすることでしか満たされないものが、幸せを感じられないものがあるのだろうな、と思ったら、なんとコスパの悪い人生なのだろうなんて思ってしまった。
他人が、しかも不特定多数がちやほやしてくれなければ満たされなくて、それをされるために朝だろうとなんだろうとスマホカメラの前に立たねばならない。
まぁ、本人にとっては「SNSで皆と繋がれている」なんだろうけど。
皆って何?
繋がっているから何?
それって本当に繋がりなの?
・・・なんて意地悪いことを考えてしまう。
自己満足って大事
そんなことをつらつらと考えていると、自己完結できる幸せをもつってことは自分の心の健康のためにはとても大事だなと思う。
自分が満足できれば、他に何を言われても気にしないでいられるような「幸せ」。
推し活もそうなんだけれども、時に推しは自分のことを裏切ったりもするから、そうなると難しいんだけれども。
子育てにおいても、私みたいな単純にぷにぷにしていればOKから、「子どもがこういう反応してくれると嬉しい」みたいな感じになり、逆に想定するリアクションしないと悲しいみたいになるとしんどくなる、となると難しくなるのかもしれない。
・・・と考えると、「自己満足」っていうのが大事で、他人に期待しない方が色々と楽なんだろうななんて思う。
引き出しにセーラームーンの変身アイテムのコンパクトのおもちゃを忍ばせるような、宝箱にシルバニアファミリーの赤ちゃんとベビーベッドを忍ばせるような、すみっこぐらしの手乗りぬいぐるみとおふとんをこっそり眺めるような・・・そういうジャンルの、誰にも何も言われない領域を持つということが。
つまり、これからもぷにる
いろいろと書いたけれども、とにかくただ猫をなでなでするような感じで、私は子どもの手をぷにぷにしながら、それだけで幸せを感じているし、これからもそういう「低次元の幸せ」みたいなものを大事に生きていこうと思ったのでした。
おしまい
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*1:私は声真似はわりとガチでやるタイプ、ジャムおじさんとチーズとばいきんまんは得意だけど、アンパンマンとバタコとドキンちゃんは苦手。つまり男の人の声の方が得意。