ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

「~でないといけない」と思わないようにしたい

こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

先日、遊園地がある駅の最寄駅に降り立ちました。

 

世の中には、閉園後~翌日の開園前までに遊具のメンテナンスをする仕事があることを、これを読んでいるあなたは知っているでしょうか?

休園日なんてほとんどない施設で、「いつ」定期的なメンテナンスがされているか?と考えてみれば、それは閉園後だろうなと思いつくだろうけど、改めて考えてみないと、そういう仕事が世の中にあることに気付かない人がほとんどじゃないだろうか。

 

ちなみに、遊園地にある遊具や建物はそれら一つ一つが「建築物」であり、建てる時にはそれぞれに許可申請が必要になるそう。

これはゼネコンに勤める友人から教えてもらったけれども、よく考えたらそれもそんな気がしてくるが、普段の脳みそではそこまで行き着かない。

 

世の中には膨大な仕事があり、出来るだけその知識を身に付け、スムーズに商談できるようにする・・・

そうやって、私は今までありとあらゆる仕事について知ろうとしてきたし、一度聞いた話を全部覚えようと心がけてきた。

その日も遊園地の機械のメンテナンスをする企業の採用担当に、「ドクダミさんはウチの会社を良く知っていてくれていて助かります」と言われて嬉しかった。

 

・・・んだけれども、私と真逆のスタンスの先輩がいて、最近彼と一緒に仕事をする機会が増えました。

 

 

ノリと勢いで全てを乗り切る

私の5つほど先輩。

わりと同じ部署にはいるものの、そういえば今まで1度も一緒に仕事をしたことがない人と接する機会が増えて思ったことがあります。

 

「この人、わかっているようで、何もわかっていないな・・・」と。

 

たとえば、人材の仕事をしていると「施工管理技士」という資格の内容・取得要件などなどなんて常識中の常識だと思っていたのですが、それを知らない。

いや知らなくて今まで仕事をしてきたのだろうか?としばし観察していたのですが、「ノリ」「知っている風を装う」「周りに聞く(そして忘れる)」という感じでやっていることに気づきました。

 

・・・ってすごくない?

 

私は知ったかぶりをしても顔に出てすぐバレるから、勉強して覚えて臨むし覚えたことは忘れないようにしている。

 

でも彼はそういうことが全くないのだ。

お客様の話に即座に合わせ、「だいたいこんな感じの資格だろう」と判断して、知らないことを悟られずに話を進めていく・・・

そういうノリと勢いで、20年近くも働き続けているなんて、なんかすごいなと思ってしまった。

 

 

ノリでどうにかなるなら、まぁいっか

若い頃の私はそういう風に「知らないことを知ったかぶってすごいな~」なんて思考回路ではなく、「知らないことが恥ずかしくないのか!?」みたいな感じだった。

なので、そういうノリですべてをどうにかする人たちを少々軽蔑していた。

 

でも、それから10年以上経った今は、「それでも営業として生き残っているんだから、すごいよな」と思う。

後輩を育て、元気づけて、周りの人を頼ることを教えていく・・・私と別次元での生き残り方なんだけれども。

 

「最近、○○と仕事するようになったけど、大丈夫?」と目ざとい(色々なところに気が回る)上司に聞かれました。

 

「どんな印象?」

・・・嫌なことを聞きますね。

 

「ええっと、わかっているようでわかっていないけれども、お客様が○○さんがわかっていると思っているっぽいから、いいのかな?って思いました」

嘘をついても仕方がないので、正直に言いました。

 

「いいところ突いてる。知識があるというよりも、顧客対応力がすごいんだよな~」

 

 

つまりは、コミュ力の差

顧客対応力かぁ・・・たぶん、営業を始めたばかりの頃の私に一番足りなかったのが、「顧客対応力」だったろうな。

 

相手が何を求めているのかわからないし、その上知識もない。

そのしょうもない状態をどうにかしようとして、とりあえず知識だけ身につけた。

知識が身につくと、落ち着いて話せるようになってきたので、自然と顧客対応力もついたって感じなのだろうか。

 

そう考えると、彼は相手の求めるものを掴む能力がすごいのだろう。

 

人材業界だと、しばしそういうタイプの営業がいる。

知識はその都度お客様が教えてくれるし、知ったかぶりしても後で求人票をもらえばどうにかなる。

 

 

「~でないといけない」と思わない方がいい

そうやって、色々と考えていると、「~でないといけない」「~であるべき」って思わない方が良いんだろうなという考えに辿り着いた。

 

人をがんじがらめにしているのは、そういう「~でないといけない」みたいな思考なのだ。

 

「営業なら」「母親なら」「女なら」「若者なら」「いい年した大人なら」「学生なら」「日本人なら」

・・・いつの間に、染みついたそういう「~であるべき」みたいなものに、あの人は、そして私も縛られているんじゃないか?と思う瞬間がある。

あの人、というのは有名な人でも、そうでない人でも。

 

今ちょうど、『ナイルパーチの女子会』という本を読み終わったから、特にそういうことを考えているのかもしれないけれども。

でも、とにかく、自分が何か苦しくなった時は、自分の拠り所みたいなものを180度ひっくり返して、真逆のことをしたり、真逆の人を見てみるのもいいのかもな~と思ったのでした。

 

ナイルパーチ。長い魚を想像していたけれどもちょっと違った。本の感想は後日。

 

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