こんにちは、ドクダミ淑子です。
今回は、こちらの小説の感想をお送りします。
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どんな内容なの?
あってはならない感情なんて、この世にない。それはつまり、いてはいけない人間なんて、この世にいないということだ――共感を呼ぶ傑作か? 目を背けたくなる問題作か? 絶望から始まる痛快。あなたの想像力の外側を行く、作家生活10周年記念、気迫の書下ろし長篇小説。
想像力の外側とは
はい、ネタバレ見たくない人は閉じましたね?
じゃあ、行きますよ。
上の文章で「想像力の外側」と書いてあるのですが、今回のテーマとなるのは「フェティシズム」についてです。
フェティシズム=「フェチ」ね。
その中でも今回は「水フェチ」という、水がブワーッと上がっているとか、水が思いもよらない方向に動くということに興奮する人達が出てきます。
その人達が、「自分の欲を満たそう」と試行錯誤するんだけど、最終的には「児童ポルノで逮捕」になっちゃう・・・というのがざっくりとしたあらすじ。
- 大多数とは違う「欲」を持つ人
- 変わった性癖とかはないけれども「普通」から外れていると感じている人
- キラキラした目で「多様性、大事だよね!」と語る人
- 「頭のおかしい奴は消えてしまえ」みたいなことをサラっと言う人
- 法の元に正しい社会を守ろうとする人と、社会の枠から外れてしまったその家族
それぞれが、それぞれの苦しみを抱え、それぞれの「正しさ」を貫こうとしてそこに生まれる歪みみたいなものが、話者が変わりながら交錯していく。
「想像力の外側」とは、水フェチみたいな、人間の身体に欲を感じないような人のことを知ることになるという意味で書いてあったのだろう。
多様性とはグロテスク
でも、私はこれを読んでいて、あまりショックを受けることはなかった。
「まぁ、そういう欲を持つ人もいるだろうな」と思ったから。
「この世の中、自分の物差しで測れるものなんて限られていて、自分の思考回路からかけはなれた人もいるのだろう」と日頃から思っているし、「多様性なんてキラキラした目で語れるものではない」と思っているからだ。
だから、「水に興奮する人達が、子供が水遊びをしている水に興奮していたのに、それを一般的な物差しで見られたら児童ポルノと見なされた」というのは考えさせられるなと思った。
多様性だって、仮に食糞の嗜好を持つ人がいたからといって、それが犯罪にならない限り、何をどうすると言うものではない。
児童ポルノは所持は犯罪になるけど、公園でニコニコ子供達を眺めるおじさんは、心の中で彼らを性的な目で見ているかどうかなんてわからないから、逮捕は出来ない。