ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

【本感想】正欲 多様性とはグロテスク

こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

今回は、こちらの小説の感想をお送りします。

 
[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

正欲 (新潮文庫) [ 朝井 リョウ ]
価格:935円(税込、送料無料) (2023/8/1時点)

楽天で購入

 

 

どんな内容なの?

公式サイトによると、こんな内容です。
 
あってはならない感情なんて、この世にない。それはつまり、いてはいけない人間なんて、この世にいないということだ――共感を呼ぶ傑作か? 目を背けたくなる問題作か? 絶望から始まる痛快。あなたの想像力の外側を行く、作家生活10周年記念、気迫の書下ろし長篇小説。
 
かなり匂わせな文面ですが、実際のところはどんな感じなのか?
ここからはネタバレ満載で行くので、読んでみたいかも~という方は早く閉じて下さい。
 
 

想像力の外側とは

はい、ネタバレ見たくない人は閉じましたね?

 

じゃあ、行きますよ。

 

上の文章で「想像力の外側」と書いてあるのですが、今回のテーマとなるのは「フェティシズム」についてです。

フェティシズム=「フェチ」ね。

 

その中でも今回は「水フェチ」という、水がブワーッと上がっているとか、水が思いもよらない方向に動くということに興奮する人達が出てきます。

その人達が、「自分の欲を満たそう」と試行錯誤するんだけど、最終的には「児童ポルノで逮捕」になっちゃう・・・というのがざっくりとしたあらすじ。

 

  • 大多数とは違う「欲」を持つ人
  • 変わった性癖とかはないけれども「普通」から外れていると感じている人
  • キラキラした目で「多様性、大事だよね!」と語る人
  • 「頭のおかしい奴は消えてしまえ」みたいなことをサラっと言う人
  • 法の元に正しい社会を守ろうとする人と、社会の枠から外れてしまったその家族

 

それぞれが、それぞれの苦しみを抱え、それぞれの「正しさ」を貫こうとしてそこに生まれる歪みみたいなものが、話者が変わりながら交錯していく。

 

「想像力の外側」とは、水フェチみたいな、人間の身体に欲を感じないような人のことを知ることになるという意味で書いてあったのだろう。

 

 

多様性とはグロテスク

でも、私はこれを読んでいて、あまりショックを受けることはなかった。

「まぁ、そういう欲を持つ人もいるだろうな」と思ったから。

 

「この世の中、自分の物差しで測れるものなんて限られていて、自分の思考回路からかけはなれた人もいるのだろう」と日頃から思っているし、「多様性なんてキラキラした目で語れるものではない」と思っているからだ。

 

だから、「水に興奮する人達が、子供が水遊びをしている水に興奮していたのに、それを一般的な物差しで見られたら児童ポルノと見なされた」というのは考えさせられるなと思った。

多様性だって、仮に食糞の嗜好を持つ人がいたからといって、それが犯罪にならない限り、何をどうすると言うものではない。

児童ポルノは所持は犯罪になるけど、公園でニコニコ子供達を眺めるおじさんは、心の中で彼らを性的な目で見ているかどうかなんてわからないから、逮捕は出来ない。

殺人をすることを妄想し続けてかれこれ10年みたいな人もいるかもしれないけど、行動に起こさない限り逮捕は出来ない。
・・・そういう人達も含めて、「多様性のある社会」なのだ。
 
「多様性」なんてサラッと言える人達は、「清潔」な自分の世界の中での多様性しか認めない、というか、自分の想像を超える趣味嗜好の方々がいるということも考えていないのだろう。
もしくは、出てきたら排除すればいいくらいの、傲慢さを持っているか。
 
 

分かり合うことを諦めた私、諦めない人

私は世界とは、多様性とはそういうものだと思っているので、分かり合えないなら分かり合えないまま、平行線のままで生きていけばいいじゃんと思っている。
いい感じの言葉で言うと、「距離を取る」だろうか。
話し合って着地点を見出すとか、すり合わせるとか、お互い妥協し合って・・・とか、そういうことをしない方向を選んでしまうのだ。
だって、すり合わせるっていうのは、こっちも歩み寄ることになるのよ?
それをせずに「お前らだけこちら側に来い」というのは、違うと思う。
だから、「じゃあお互いの道を行きましょう」と言って別れてしまうことを選んでいる。
 
・・・んだけれども、この小説の中で、「分かり合おう」とする人が少ないけれども存在していた。
初めは「キラキラ多様性」の住人だった彼女は、最後の最後までグロテスクな多様性の世界の住人だ、放っておいてくれと言う相手と話し合うことから逃げなかった。
同じ世界の住人達が繋がり合うだけではなく、違う世界の住人でも理解し合い、繋がり合うことが出来るかもしれない・・・という可能性をこの小説の終盤で読めた。
 
 
 
分かり合えない世界でいかに分かり合うか。
分かり合えない世界で分かり合えないままでも共に生きるか。
法律とは?
犯罪とは?
「物静かで何を考えているかわからない」は罪なのか?
 
この小説は色々な「問い」を突きつけてくる。
 
でも、最終的には「生きるために」という言葉が頭についてくるのも、朝井リョウらしさなのだと思った。
「多様性」なんて簡単な言葉で済まされないこの世界で生きるということ。
簡単に繋がれるようで、本当のところは繋がれない社会で、どうしたらいいのか?
 
そんなことを、ぐるぐると考える読書体験だった。
 
 
こちらもどうぞ