こんにちは、ドクダミ淑子です。
今回は、こちらの本の感想を。
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どんな内容なの?
公式サイトによると、こんな内容です。
国民的スターって、今、いないよな。…… いや、もう、いらないのかも。
誰もが発信者となった今、プロとアマチュアの境界線は消えた。
新時代の「スター」は誰だ。
「どっちが先に有名監督になるか、勝負だな」新人の登竜門となる映画祭でグランプリを受賞した
立原尚吾と大土井紘。ふたりは大学卒業後、
名監督への弟子入りとYouTubeでの発信という真逆の道を選ぶ。受賞歴、再生回数、完成度、利益、受け手の反応――
作品の質や価値は何をもって測られるのか。
私たちはこの世界に、どの物差しを添えるのか。ベストセラー『正欲』と共に作家生活10周年を飾った長編小説が待望の文庫化。
ざっくり言うと、「世に出すまでの品質にこだわる映画の人間」「粗削りでも世に出して評価されるYouTubeの人間」と、それを取り巻くインフルエンサーや女優や視聴者や別の世界で芸を磨く人や、最初についた側と反対へ方向転換した人などなど・・・色々な人の自分達のやりたいことや大事にしたいことが錯綜し、時にはぶつかり、分かり合えたり分かり合えなかったりするって内容。
テーマは「今」なんだけど
モチーフとしては「SNSや動画サイトが当たり前になった今」なんだけど、「インフルエンサーって薄っぺらいよね」「バズってもむなしい世界」「オンラインサロンなんて胡散臭い」だけで物語は終わらない。
じゃあ、古き良き時代に戻るのが良いことなのか?というとそれも違うし、そもそも「良い」「質が高い」というのは何なのか?それもまた時代によって変わるのではないだろうか?と、登場人物の状況が変わり、人が入れ替わり、どんどん問いが出てくる。
初めは、「映画とYouTube、どっちが良い?」みたいな二項対立だったのが、気づけばどちらも「正解」ではないということに気づかされる。
「この場こそ、自分が輝ける」と思っても、会社のトップの発言1つでその居場所がガラガラと崩れ落ちることもある。
自分は「質の高いものを追い求めるのだ」と思っていても、気づけば「低品質」に絡め取られていることもあってゾッとする。
そんなことがたくさんあって、たくさん考えさせられる。
自分の正しさを押し付けない
我々は、「スター」なき世界で、正解なき世界で、どう生きるか?
・・・この『スター』という小説は、その問いを色々な人の言動を見せながら、どんどんと畳み掛けてくる。
正しければ、お金が稼げるのか?
質が高ければ、皆見てくれるのか?
家族が喜んでくれれば、満足できるのか?
答えは全部NO、というか「そうとは限らない」なんだけど、じゃあ人の心に反するものでも低品質でもいいのか?というとそれもNOだ。
一流レストランだけが正解か?
牛丼屋こそ正義か?
実名顔出しのSNSユーザーは信頼できて、匿名顔出し無しはすべて信頼に値しないのか?
正解なき世界なんだから、他人の言動を批判してはいけないのか?
この連続パンチを、このブログを読んでいる人に体験していただきたい。
大事なのは中身
その中で、私が気になったのは、浅沼さんという女性だ。
1/4に出社して、年末の仕事納めで会社で飲んだビールの残りを勝手に飲む人なんだけど、彼女の言葉を引用したい。
誰でも発信できるプラットフォームに広告がついたのって、私からすると結構怖いんだよね。影響力と金銭がイコールで結び付くって大丈夫なんだっけって思ったり思わなかったり
だって、影響力があるとか有名だとかっていうのはあくまで“状態”なわけ。中身じゃない。再生回数が多いっていうのはその人の状態で、大切なのはどんな中身が再生されてるか、でしょう
私も古い人間と言われるかもしれないけど、これだなぁと思った。
イタズラ動画で何百万回再生されたとしても、私はその人を優れたクリエイターとは思えないわ。
この浅沼さんの話は、まだまだ続き、そしてこれを聞いている尚吾の思考はどんどん深まっていく。
最後に自省する
私もなんだかんだで色々な人のやり方を批判したり、「家族を見世物にするのはいかがなものか?」みたいなことを書いているし、なぜか最近は「Twitterブルーこそ正義!Twitter無料ユーザーなのに貴様のブログのリンクを貼るとは何事か!?」というよくわからん理屈の人に絡まれたり絡まれなかったりしているんだけど、これを読んで「正解などない」ということを改めて考えた。
これを読んでいる人も是非、たくさんの人のたくさんの考えに触れて、自分の中の「スター(北極星)」を探してほしい。
ちなみに、血液クレンジングとかネット炎上で動画しれっと削除とか、YouTuber同士の不仲トラブルとか、あるあるなネタもたくさんあるので、あの事件がモチーフかな?とニヤニヤしながら読むのも面白いと思います。
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