こんにちは、ドクダミ淑子です。
ふとした瞬間に、「良い会社になったな」と思う。
たとえば、雨の日。
私は普段傘をとんでもない頻度でなくすので、折り畳み傘を愛用している。
けれども、子どもと一緒に入るとなると、大きな傘の方が使い勝手が良いので、その日は大きな傘で出勤した。
昔だと、ビニール傘なんて持って行った日には、紛失することを覚悟しなければいけなかった。
紛失防止のために、目印をつけたり、名前を書いたりして自衛しなければ、持って行かれたり、ボロボロの傘と取り換えられたりしていた。
そんな過去があったので、紛失しないために、ちょっと派手な色のヘアゴムをぐるぐるに巻き付けておいた。
・・・だけど、まったく無くなる気配がなかった。
「傘ないや・・・」「私2本あるから持って行く?」なんて会話や、「コンビニで買うか~」みたいな独り言を聞いて、「私は昔、どんな治安の悪い会社にいたのだろうか」と自分の感覚に驚いた。
そういえば、昔は社内で財布が窃盗されたなんて事件もあった気がする。
どれだけ治安が悪かったのだろうか・・・
世の中は、だんだん良くなっている
色々なことに不平不満を持ち、声をあげる人がいる中で、世の中は確実によくなってきていると思う。
差別は少なくなり、凶悪犯罪は減り、人々のマナーはよくなり、少しずつ「生きやすい世の中」になっている。
誰かが、この邪悪な状況をどうにかしようと動き、時には戦い、時には自分の生活を犠牲にしたりしながら、良くしていった結果なのだ。
生きやすい人、生きづらい人
私はそんな感じで、いつもボケーっと「良い会社になったなぁ」「良い世界になったなぁ」「良い時代だなぁ」と思っている。
きっと、そうやって物事の良い方向に変化したことを見て喜べる性格の私は、とても生きやすいのだと思う。
たとえ何かの悪い面を見たとしても、「まぁ、でも、○○よりは良くなったし~」と比較して、「まぁいいか」と思ってしまう。
そうやって、色々なことをある程度諦め、踏ん切りをつけ、スルーしながら生きる、というのは、正直とても生きやすい。
我が家は平日の育児家事負担は90%くらいが私だけれども、それについても(時々モヤるシーンはあれども)おおむね納得しているし、「不平等だ」と思うこともあまりない。
・・・のだけれども、その私が立っている「良くなった世界」を作っているのは、過去に声を上げて戦ってきた人達、つまり生きづらさを感じていた人達の賜物なのだ。
そして今もきっと、不平不満を言って、未来をより良い世界に変えていこうとしている人がいるのだろうと思う。
私が「良い世界だなぁ」と思っている世界に、不満があって、今この世界が生きづらい人達が。
そう思うと、私のスーパー楽観的な性格は、そうやって社会を前に動かす力と逆を行っているような気がしてしまう。
生きづらい人がどこかにいたとして、「もっとのんびりすればいいのに」「気を楽にして」「考えすぎだよ」と言うのは簡単なんだけれども、考えすぎなくらい考えている人がいるからこそ、この世の中は良くなっていくのだろうと思う。
だからといって、考えすぎて自分がぶっ壊れるのは避けて欲しい。
誰もが出来る範囲で、少しずつ
・・・とはいえ、私も色々思い出したら、少しはブラック企業のホワイトニング化に貢献していたのではないかと思ってきた。
たとえば、残業多すぎる問題。
「残業が多すぎるので辞めます」と宣言して、色々あって結局残留した。
そして、それが直接関係したのかしていないのか分からないけれども、会社として残業を減らす取り組みを始めたり、業務のバランスを取り始めた。
あとは、復職した件も。
時短勤務でありながらも、営業の仕事を続けている人はまだ少ない中で、まぁそこそこの成果を出せていると思う。
そして、年間の残業時間は、この前数えたら2.5時間だった。
そうやって、少ない勤務時間・残業時間でも売上を上げられる人間がいるという事実は、他の人の業務改善をする際にも参考になるだろう。
まぁそうやって、戦わなくても、事例を作ることはできるのかもしれない。
どういった形であれ、世の中を良くすることには、出来る形で貢献していきたいと思っている。
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