こんにちは、ドクダミ淑子です。
タイトルで「ん?」と思った人もいるかもしれませんが、今日はまぁ・・・そんな話です。
ダッフィーベアーがあったとさ
「淑子、あのクマ、子どもにあげないの?」
ある日、私のクローゼット(と言う名の物置コーナー)を見た夫が、こう言いました。
「クマ・・・?ダッフィーだけど?」
「ダッフィーね、そのダッフィー、あげないの?大きさも子どもが持つのにちょうど良さそうだし、子どもちゃん最近ぬいぐるみのお世話好きだし・・・」
私はちょっとだけ、「ムムム・・・」となりました。
10年前の付き合いたての頃のプレゼントだったとさ
私がムムム・・・っとなったのは、それが10年前、付き合いたての頃に夫とゲーセンに行って、UFOキャッチャーで取ってくれたダッフィーちゃんだったからです。
当時は私は実家暮らし、夫は1人暮らしだったので、実家のベッドサイドに置いて、可愛がっていました(アラサーでぬいぐるみを可愛がるのは気持ち悪いという意見は受けつけません)。
「・・・っていうダッフィーなんだけど!?」
夫は全く覚えていない様子。
まぁ、10年も前ですからね。
そういう、些細な出来事はどんどん忘れていくのでしょう。
でも、その中で私の乙女心は、「付き合いたての頃のふわふわした感じを、出来ることなら覚えていたい」と思っていて、そういう思い出をダッフィーちゃんに込めていました。
そして、夫がその思い出を全く覚えていないことにもちょっと悲しくなった。
ああ、私にも、そんな乙女な部分があったんだな。
ダッフィー騒動で、私は自分の中の乙女心に気づきました。
恋愛期間の記憶が塗り替えられていく
私と夫が出会ってから、もう10年以上が経つんだけど、子どもが生まれてから、「恋愛期間の思い出」みたいなのが、どんどん塗り替えられていくのを感じている。
あそこに旅行に行ったな、美味しいものを食べに行ったな、オープンしたてのどこにいったな・・・などなど。
かろうじて、結婚式と新婚旅行くらいは残っているけれども、それもまた「遠い昔」になりつつある。
子どものいる今が一番濃くて充実していて、楽しくて嬉しい(時々しんどい)から、どんどん過去が「過去」として薄くなっていく。
ダッフィーを見つめながら、そんなことを考えていた。
ダッフィーと共に渡したもの
そんな感じで30秒ほどボーっとしていると、子どもが近づいてきました。
「何それ?新作?」とばかりに私の腕の中のダッフィーを覗き込むので、渡してみると、なんだか楽しそうに遊び始めたじゃないですか。
・・・うん、もうこれは君のものだな。
それを見ていて、私はスパンと踏ん切りがつきました。
というか、「これは夫から私へのプレゼント!」ということに拘っていたことが、馬鹿らしくなってしまった。
彼の「愛」とやらが私に向けられていた時期もあった(今も多少はあると思う)けれども、もうそれの大半は子どもに注がれているし、私も私で、子どもの喜ぶ顔が最優先になっているということに気づいた。
・・・というわけで、我が家では、夫婦の恋愛期間が完全終了しました。
しばらくは、家族全員で楽しみたい
もう少し育児が落ち着いたら、夫婦でデート❤夫婦でのんびり旅行❤とかあるかもしれないけれども、うちは「家族皆で美味しいもの食べに行こう」の方が多いかな。
せっかくなら、皆で楽しく過ごしたい。
どうせそんな風に、家族でゾロゾロ出かけられる期間って、10年くらいしかないんですから。
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