こんにちは、ドクダミ淑子です。
最近、小泉今日子さんが、自身が50歳になるにあたって、50歳を先に迎えた先輩方に体験談を聞いたり教えを乞うみたいな連載が文庫本になったものを読んでいます。
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(たしか、育休中にまだ子どもも赤ちゃんだし、あまり遠出が出来ない時期に自己啓発本が多めに置いてあるコンビニで買った気がする。)
その中で、よしもとばななさんが言っていたことがとても印象的だった。
ざっくり言うと、よしもとさんは人を観察することが好きで、それが本業みたいなもので、副業で小説を書いている、という話。
優れた小説家は、人を書くのがとても上手いと思う。
まるで本人が書いているかのような、血の通った人間を、何人も書き分ける。
(そうじゃないタイプの優れた小説家もいるとは思う。村上春樹の小説に出てくるのは大抵「ぼく」で、散歩や水泳が好きでちょっと皮肉家だ。)
私が好きな、すごいなと思う小説家は、「人」を書くのが上手いタイプの人だ。
なるほど、人を観察することが本業で、それを生かした副業をしているのか・・・そんな文章を読んでいたタイミングで、はあちゅうさんの土曜日のnoteを読んだら、今までモヤッとしていたことが1本の糸としてピッと繋がった気がした。
そうか、はあちゅうさんって自分を主語にしてしか考えられないから、作家として伸びなかったのか、と。
何をしても「私の人生」のことばかり考えている
今回のnoteは、お子さんがおたまじゃくしの話をしたことや、「晴れているとなんで気持ちがいいの?」と聞かれたことで、子どもを育てながら、「私の2回目の人生を生きている」という話だった。
この、眠っていた記憶が引き出される感じは、1回目の人生の記憶を残しながら、2回目の人生をやり直しているようで、面白い。
「子どもを育てていると、自分の小さい頃を思い出すなぁ」なんてホンワカした話かと思いきや、「私の!2回目の!人生!」という感じで、子どもへの愛よりも自分への愛が勝っているということを感じ取ってしまった。
はあちゅうさんは、なぜそんなに自分の人生のことばかり考えているのだろうか?
そんなに後悔して、やり直したいことがたくさんあるなら、スマホとソーラー充電式のモバイルバッテリーを持ったまま異世界転生でもして、SNSのない異世界で世界初で世界唯一のインフルエンサーかなんかになった方がいいんじゃないの?と思う。
彼女は、何をしても、最愛の息子が隣にいても(あまり隣にはいないかもしれない)、常に自分のことを考えていて、すごく尊敬する。
真似はしたくないけど。
彼女の自分ファーストはとても徹底していて、お子さんの習い事も、自分のスケジュールが送迎などでロックされるのが嫌だったから辞めさせたらしい。
息子さんの成長に関わる(かもしれないことを)自己都合でスパッと辞められるのは、やっぱり、すごい。
真似したくはないけど。
登場人物全員自分になるのは、至極当然
まぁそんな感じで、尊敬するばななさんとは真逆で、常に自分目線で、息子さんのことを見つめる時も、「息子くらいの年齢の時の、2回目の人生を生きる私」を脳裏に浮かべている、はあちゅうさん。
小説を書いたら全員自分と同じ思考回路になるのは、そりゃ当然ですよね。
ワンパターンと言われようとも、それでも小説を書き続けて大成する人もいる。
でも彼女は、そこまで作家としての自分を鍛えるということはしなかった。
もしかしたら、自分のことを見つめまくったら、作家としてのまた別の扉が開けたのかもしれない。
でも彼女は、そこまで自分との対話を深めるということもできない。
・・・というか、自分との対話を深めるというのはとても高度な言語化という技術が伴う行為だと思うんだけど、彼女はそこまでの力も、胆力もないように見える。
自分のことを考えるといっても「私の人生、本当に、このままで、いいのかなぁ?」みたいなくらいで、自分との対話をし尽くしているかというと、そうでもない。
そうやって「私の人生・・・」とか考えながら(考えはそこでストップ!)、マグカップに楽天で買ったなんかのティーバッグを入れてお湯をかけて、ティーバッグが入ったまま撮影して、アフィリエイト付きのストーリーズを更新する。
そう、考えて考えて、考え尽くさないから、答えも出ないしいつでも「私の人生・・・」って言い続けているのだ。
こちらもどうぞ(人生迷子のはあちゅうさんにオススメ!)