こんにちは、ドクダミ淑子です。
「育児なんて、何が正しいかわからない」
「よその家のことなんて、本人たちしかわからない」
そうですよね、わかります。
わかるんだけど、「じゃあノータッチで!」で終わらせられないのが、人間であり、私なのだと思うんですわ。
何が正しいかなんて、わかるわけないでしょ
こういうことをドヤ顔で言っている人って、「何か分かっているようで、何も分かっていない」「何か良い事を言っているようで、何も言っていない」と思うのは、私だけなのでしょうか?
「人生は一度きり!今日は1回きり!」みたいなことを言って、良い事言ったみたいな顔している人いるじゃないですか?
それを聞いて「すごい・・・名言だ」とか反応している人とか、大丈夫か?って思ってしまう。
何が正しいのかなんて、わかるわけがない。
そんなの当然だろう。
でも、「きっとこれが正しいのだ」と思いながら、時々「本当にこれが正しいのか?」と疑いながら、でも「きっとこれが・・・」と信じて行動する。
それの繰り返しが育児だし、人生なのだと思う。
食べ物を粗末にする子供を叱らずに優しく見守る母親
その中で、「これはちょっと違うんじゃないか?」と思うことだってある。
例えば、もうすぐ3歳になる子がコーンフレークを持ったまま椅子から飛び降りてこぼしてしまったのをSNSに投稿する親。
それを𠮟るかと聞かれれば、叱らずに抱きしめて着替えさせてまた新しいコーンフレークをあげる、私は子供のことでイライラしない、と回答して、また後日チョコフレークをぶちまけたと報告、「イライラしない」「ウケるって思う」と寛大な私アピール・・・
そしてまた後日、今度は飲むヨーグルトを投げたとブログに書く。
#はあちゅう さん、コーンフレーク持ったまま飛び降りてぶちまけても抱き締めて「大丈夫だよ」って言ってくれるママなら、また同じことやるよねぇ…https://t.co/7HHsLP6Qbr
— ドクダミ淑子 (@dokudamiyoshiko) August 26, 2022
叱らない育児にしても、「食べ物を粗末にすることはやっちゃダメだよ」とちゃんと話すことはした方がいいと思うぞ。 pic.twitter.com/Fev14qGkkO
私はこの一連の投稿を見て、「違うんじゃないか」と思ってしまう。
「よその家庭の教育なんだから、放っておけよ」と言う人もいるだろう。
でも、こういうことに対して「違うと思う」とは言っていけないのだろうか?
よその家のことだから?
自分には関係ないから?
そういう風に「物事を俯瞰して見ている」「客観的に見ている」って人は、子供が虐待されたり、子供の大事な命が失われた事件を目にした時、どう思うのだろうか?
「よその家のことだから、意見すべきではない」と言うのだろうか?
そうやって、「自分には関係ないや」と言って、何も感じないのだろうか?
もしもそこで「周りは何かしてやれなかったのか?」みたいなことを言うのなら、それも矛盾していると思う。
あなたは「意見するな」と言っているじゃないか、と。
知らない子供にも注意するクソババアでありたい
私は、たとえよその家のことであっても、自分の目に見える範囲ではあれこれと意見する方だ。
たとえば、うちの子のおもちゃを奪って遊ぶ子には注意するし、うちの子がすべり台の階段を上がろうとしている時に割り込んでくる子がいれば注意するし、逆にうちの子が何か他の子に迷惑かけようものなら、もちろん注意する。
同じように、ネットでちょっと気になることがあったら、(最大限配慮はした上で)発言する。
はあちゅうさんは、私のことをブロックしているので、彼女には直接私の声は届かないものだと認識しているから、名指しするけど。
それは、社会は、親だけではなく皆で作っていくもので、教育も親と子だけのものではないと思っているからだ。
この辺は、子どもを産む前からそう思っていて、産んだら変わるかなと思ったけれども、やっぱり変わらなかった。
ということで、ネット姑は続きます
最近、自分のプライベートが少し落ち着いて、改めて今までドタバタやってきたことが、正しかったのか否か、もっと改善できる点はなかったのか、と見直せるような心の余裕が出てきた。
それと同時に、他の人の育児についてのつぶやきを見て、あれこれ考える余裕も出てきた。
・・・まぁ、そういう余裕っていうのは、子どもの体調不良とかで一瞬にして無くなるんだけどな。
こういう機会に、少しだけ立ち止まって、色々と考えて、また前に進んでいきたいな。
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