こんにちは、ドクダミ淑子です。
最近、短編小説を読んでいる、という話を書きました。
そこでちらっと紹介したこちらの本。
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こちらは2作目です。
シリーズ3冊読み終わりました。
うん、これは・・・ハマった、ってやつだな。
どんな話なの?
公式サイトによると、こんな内容です。
泣きたいときもあるけれど、食べて、飲んで、生きていく!犬森祥子、バツイチ、アラサー、職業は「見守り屋」。営業時間は夜から朝まで。様々な事情を抱える客からの依頼で人やペットなど、とにかく頼まれたものを寝ずの番で見守る。そんな祥子の唯一の贅沢は、夜勤明けの晩酌ならぬ「ランチ酒」。別れた夫のもとで暮らす愛娘の幸せを願いながら、束の間、最高のランチと酒に癒される。腹の底から生きる力が湧いてくる、絶品五つ星小説!
1話の展開はだいたい同じで。
シーンは仕事を終えたある日の午前、その日(前日から朝まで)の仕事を終えた祥子が、どの店に入ろうかと街をぶらぶらするところから始まります。
パッと入ることもあれば、そこでひと悶着ある場合もあるけれども、席に座ってメニューを見て、食事とお酒を頼む。
そして待ちながら、食べながら、飲みながら、その日の仕事であったことを思い出し、振り返り、時にはちょっと反省したり後悔したり、自分のことや家族のことに重ねたりしながら、食事を終えて店を出る・・・という流れ。
第1話はこちらから無料で読めます。
その中で、少しずつ祥子を取り巻く環境が、状況が変化していく。
1つ1つの話は単発のようで、少しずつ、それも自然な感じで繋がっていて、そこも気になってしまう。
2作目が終わった時点で「つ、続きが気になるぅ~」ってなったけれども、3作目は文庫版が出ていなかったから、電子書籍で買っちゃったよね。
女一人の酒は「寂しい」のか
その中で私が気になったのは、女一人酒は「寂しい」のか?というところ。
1作目・2作目は文庫だったので、文庫版解説がついていて、それぞれ中江有里さん、花田奈々子さんが書いていました。
それぞれ、祥子のことに触れながら、この物語の「美味しさ」に触れながら、ぽろりと「寂しさ」っていうことを書いていて、私はそれがちょっと引っ掛かってしまった。
というのは、私自身が一人で食事をしたり、一人でお酒を飲んだりするのが好きだから。
たしかに、祥子のプロフィール的には「寂しい」女なのだろう。
バツイチでアラサー、かわいい娘は元夫と元義父母の家にいて、北海道出身で頼る人も数名な中で東京で暮らし続け、仕事は単発の「見守り屋」、そして夜勤明けみたいな時間帯に一人で飲食店で酒を飲む・・・とだけ聞いたら、そこに「寂しさ」を感じる人は多いのかもしれない。
でも、私は本編を読んでいる間、そういう「寂しさ」を1回も感じなかった。
それは私自身が、女一人酒ということに何の寂しさも感じない、むしろ(今の状況だと)憧れに近いものを感じるからだろうか。
「酒」というのは、不思議だ。
みんなで飲めばそれは「楽しさ」のイメージがあり、一人で飲めば「寂しさ」のイメージがつきまとう。
それは「本来なら、酒は大勢で飲むものである」というものだからだろうか?
私自身には、そういう感覚が、あまりないから、彼女の「寂しさ」を感じられないのかもしれないな。
時々「付き合う人はお酒が飲める人がいい」みたいなこと目にしたり耳にしたりするけれども、私にはそういう感覚がない。
夫はお酒を飲まない(飲めない、のではない)し、私はその横でぐびぐびと飲んでいたりする。
1歳7ヶ月児の子はいまだに「風呂上がりの1パイ」を欲するので、私の酒タイムは自然と「全てが終わった後の晩酌タイム」になる。
でも、それに「寂しさ」というものは付いてこない。
あるのは、「自由」「解放感」「達成感」・・・そういうものたち。
きっと祥子のランチ酒もそんな感じなのだろう。
周りが何をどう言おうと、寂しくなんかない、と思う。
昼飲みしたくなるシリーズ
これを読んでいると、本当に困ったことに、「昼飲み」したくなる。
土曜日の昼、子どもと夫が昼寝している間に、ちょっとだけ飲みに行こうかな・・・なんて魔が差した。
けれども、コロナ禍のこのご時世で、昼から店で飲むのは危険だなと思って、ほろよいはちみつレモン(だったら授乳タイムまでに抜けるだろうという作戦)と、カマンベールチーズを1ホール(ケチなので切れていないタイプ)を買って、家で楽しんだ。
もう少し、子どもが大きくなって、コロナが落ち着いたら、また一人鳥貴族でもかましてやろう・・・なんて小さな夢を抱きながら、ペロリとカマンベールチーズを食べた。
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