ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

子どもに聞いてるのにパパが代弁する問題


こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

最近、夫(パパ)のことで気になることがあります。

それは、「私が子どもに話しかけると、代弁すること」。

 

今日はそんな、些細な育児の気になる話。

 

 

わかっているけど、あえて聞く

私は、子どもとの会話を楽しみたいのです。

まだ喋れないけど、顔を見て話しかけて、(私が)答えて、返事する・・って一連のやりとりを、楽しみたい。

 

だから、よく「どうしたの?」「何して欲しいの?」と子どもに質問を投げます。

 

 

あえて聞くのに即答する夫

そんな気持ちで「どうしたの?」と話しかけるのですが、それに「絵本を読んで欲しいんだよ」と即答する、夫。

 

「わかってるよ!絵本持ってうろうろしているんだから、読んで欲しいに決まってるじゃん!」

「いや、淑子は鈍いから、わからないのかと思った」

「んなわけねーだろ!?」

 

と、なぜか夫婦の会話になる。

 

そう、夫は、子どものことを良く見ていて、子どもの気持ちの揺れ動きに敏感ゆえに、察して先回りをするタイプなのです。

 

絵本の例でいうと、持ってうろうろしているだけで、いや、本棚の前に立った時点で「読むよ、ちょうだい」と声をかける。

 

気が利いているし、子どものことをちゃんと見ていて良いなと思う反面、それって子どもが自分の気持ちをアピールする機会を無くしているんじゃないか、なんて思ったりもする。

 

 

コミュニケーション方法も変化が必要だと思う

もっともっと、赤ちゃんだった頃は、そういう、親が察して動くみたいなコミュニケーションがメインだったと思うけど、1歳半を過ぎた今くらいの時期からは、「親が察する」の割合を少しずつ減らした方がいいんじゃないか?と思う。

 

わかっていても、本人が伝える・訴えるみたいなプロセスを経て、物事を進めていく・・・みたいな。

 

うんち1つ取っても、突然「オムツ変えるよ」じゃなくて、まず「うんちした?」と聞くとか。

私はわりと、その辺は意識している気がする。

 

夫はその辺は、まだまだ赤ちゃんだと思っているのかもしれないな。

 

 

自分の気持ちと付き合える子になってほしい

大人になって、色々な場面で色々な人を見て、自分の気持ちに向き合えない人って、案外多いのかもしれないなぁと思った。

 

「察してちゃん」「構ってちゃん」などの、自分主体のコミュニケーションしか出来ない人や、「反対意見は誹謗中傷」と、自分の人格と言動と作品の区別がつかない人、「結婚式の加害性」と言った自分の幸せと他人の幸せの境界線があやふやな人・・・そういう大人を見るたびに、自分の子は自分の気持ちと向き合って、ちゃんと表現できる子になってほしいなぁと思う。

それは、私がこうやって文章を書くことで頭と心の整理ができているから、そう思うのかもしれないけど。

 

そんなことを思いながら、私は今日も「どうしたの?」と声をかける。

時々夫に子どもの気持ちを代弁されるけど、それにも負けず、子ども本人に話しかけ続けるのだ。

 

 

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