こんにちは、ドクダミ淑子です。
最近、コンビニやスーパーに行くと「ああ、節電なんだな」と思います。
ドリンクコーナーや冷蔵庫が暗い、冷凍庫が暗い。
・・・「節電のため」とは分かっているんだけれども、なんとなく、暗い気分になります。
なんていうか、貧乏臭いなって思ってしまう。
「ちりつも」が嫌なのです
私自身は色々なポイントをチマチマ貯めてはニヤニヤしているケチなんですけれども、企業が、日本全体が、こうやって「塵も積もれば山となるだ!電気を消して節電しようぜ!」とやっているのは、なんだか嫌な気分になります。
「電力が逼迫しているから、協力しなければ!」となって、それを日本中でやることで電力の消費を抑えて・・・ってしているのを見ると、なんだか日本全体が貧しくなったような気がしてしまう。
そして、そういう「ちりつもで節電!日本政府に協力!」ってやっている企業の姿勢も、なんとなく「お上に従うヘイコラ感」を感じてしまう。
本当は必要ないんじゃないの?
使わない電気を消すのは大事なんだけれども、ディスプレイの照明が「使わない電気」なんだったら最初からつけなければいいんじゃない?と思う。
商品をキレイに見せて、購買意欲を高めて、買ってもらうために付けている照明。
それは、必要経費なのか、無駄な出費なのか、それとも「本当は消したいんだけれども競合他社が付けているから仕方なく付ける」のか?
少し前に書いたような、ジェットタオルの必要性みたいな話を思い出してしまう。
企業側からすれば、電気代なんて払いたくないのだろう。
それは企業にとっては「コスト」なんだから。
今は電力が逼迫しているから、という理由で「むしろ消した方が印象が良くなる」という雰囲気になったので、皆おいそれと照明を消しているのだろう。
もしもそうだったら、年中照明なんてつけなくてもいいと思う。
いつも付いていなければ何も思わないのに、「節電」が要請された時だけ真っ暗になると、「ああ、日本はそこまで電気が足りない国になってしまったのか」と思っちゃうんだよな。
チマチマ節電を何年繰り返すのだろうか
私は、「残業代をチマチマ稼ぐよりも、残業は最低限にしつつ成果を上げてインセンティブで稼ぐ」の方が良いと思っているし、こまごま電気を消すより電力の供給量をどうにかした方が良いと思っている。
それが簡単にできるのか?というと、多分そうじゃないから困っていると思うんだけど。
日本人は真面目だから、「節電しましょう」と言ったら、大半の人間が協力すると思う。
大半の企業も電気を消し、オフィスの冷房の設定温度は2度くらい上がり、自動販売機の飲み物も心なしかいつもよりキンキン具合が感じられなくなるだろう。
でも、そうやって「真面目に」「みんなの力を合わせて」「一丸となって」「協力して」、毎年の節電要請を乗り切っていった先には、何があるのだろうか?
きっと「衰退」なんだろうな・・・と思う。
照明に限らず、「生きていく上で必須ではないかもしれないけれども、あったら楽しくなるもの」といったジャンルのもの達が、どんどん「無駄」扱いされていく。
そうして、「生きていくために必要か」どうかで、どんどん選別され、消されていく。
それって「豊かさ」と逆方向に行ってしまうんじゃないか?と思う。
だから私は、「節電のため照明を消しておりますがご了承ください」という一文を目にすると、げんなりしてしまうのだ。
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